Heavenly Snow3」   三木邦彦
 
その男は、何れ自分の義弟になるだろう男とは余りにも掛け離れた印象をカイに与えた。
彼らがどういった『友人』であるのか、漠然とした不信感を抱く程…。
そもそも…『男』なのか?
態度とは裏腹に以外にも根は素直な青年の表情はあからさまに、変化する。
その男は愉快そうに笑った。
けれど、敢えてカイには何も言わず…ハジに向き直った。
 
時刻は就業時間を過ぎている。
夏場ならまだまだ日も高い時間帯なのだろうが、一番日が短くなるこの時期…辺りはとっぷりと夜の景色に変わっていた。
街路灯に施された電飾がきらきらと澄んだ光を発し、年末の街を彩っている。
 
何をやっているんだ…俺は…。
 
自分が相談を持ちかけた癖に、どうしてこんな事になっているのか…カイはどこか現実味を帯びない状況についてゆくのがやっとだった。
 
クラブに勤める女性に手紙を届ける。
たまたまそのクラブが高級と名のつく敷居の高い店だった事は計算外だったけれど…。
それがこんな厄介な事になるとは当初考えもしなかった。
住所通りの店に行き、事情を話して女性に手紙を渡す…。普通ならばそれで終わりだろうが、高級クラブと言うものはどうやら厄介な場所だった。
いきなり正面からドアを叩いて女性の名前を告げても当然怪しまれるばかりだった。
相手にもされず、性質の悪いストーカー扱いされた。
何とか事情を話すも、当の女性本人は手紙を受け取る気はないと突っぱねられた。
他に東京に知り合いもなく、だからと言って妹の婚約者にいきなりそんな相談を持ちかけるのもどうかと思ったものの…ダメ元でハジの元へ押しかけたのだ。
 
ハジは少し考え込んで、『お役に立てるか解りません』と断ったうえで、何やらスーツのポケットから携帯を取り出し、どこかへ電話を掛けたのだった。
その場で電話を掛けた相手についての説明は無かったが、ハジは相変わらず丁寧な口調で『相談に乗って頂きたい事があるので会って貰えないか…』という様な事を手短に話し、電話を切った。
今はまだ仕事中なので、夕方仕事を終えるまで待ってくれと告げられ…カイは約束の時間までブラブラと時間をつぶした。
そして約束の時間、約束の場所に来てみればこれだ…。
エリートサラリーマンとして髪が長いのも多少世間から浮いているかも知れないが、現れた電話の相手はもっと浮世離れしていた。
痩せ形ですらりとしたシルエット、緩く巻いた金色の髪、年齢不肖な顔立ち。
高級そうな毛皮の襟が付いたコートにロングブーツ、そして太い指輪、アクセサリー類。
身に着けている物それらの品は、どれも品は悪くはないが中性的で…とてもサラリーマンの様には見えなかった。
派手だからと言って芸能人と言うのとも違う…所謂、夜の街に生息する種類の人間である事は一目瞭然だった。そんな男が、この目の前の…お堅い大企業のエリートらしき妹の婚約者と古い友人だと言う。
一体どんな縁があるのか…カイには想像も出来なかった。
息を潜める様にして、二人のやり取りに注目するカイを尻目に、男は嬉しそうにハジに告げた。
「…頼って貰えて嬉しいわ」
「……まさか……まだこの電話番号がつながるとは思いませんでしたが…」
「でも、ちゃんとメモリー消さずに残しててくれたのね」
「……何かあった時は電話しても良いと仰っていたではありませんか…」
「あら、可愛い事。……単に消し忘れてただけって気もするけど許してあげる」
「………………」
ハジの沈黙に、男は肩を竦めた。
「何にしても、久しぶりに顔が見られて嬉しいわ…」
そんな会話を交わし、どこへともなく並んで歩きだす。
カイは慌てて二人の後ろに従った。
「実は…。銀座のホステスに手紙を渡したいのですが…」
ハジは並んで歩く男に唐突に切り出した。
ハジの言葉に、男は目を丸くする。
「玄人の女はやめなさいって、昔散々言ったでしょ!」
「そう言う事ではありません。……手紙を預かっているのは彼で…」
その時になってやっと男はカイの存在に気を留めた様に、後ろを振り返った。
「……初めまして。ネイサンって言うのよ。…よろしくね」
どことなく、女性めいた口調に戸惑いながら…カイは頭を下げた。
「…宮城カイです」
「彼も、亡くなった知人から預かった手紙だそうですので…内容までは解りません」
「とにかく…どうしても渡したいってコトね?」
全てを聞かずとも、ネイサンは凡その事情は察してくれたらしい。
それとも根掘り葉掘り込み入った事情を訊かないのは、それなりに訳アリと言う状況に慣れているのかも知れなかった。
ハジから手渡された店名の記されたメモを見ると、軽く…ふぅんと鼻を鳴らした。
暫く考えて、
「伝手がない訳じゃない。…でも今すぐってのも無理…。せめて明日まで待って…」
そう言ったきり、その話はお開きになった。
ハジは申し訳なさそうに『お手数をかけてすみません』と男に黙礼した。
「さ、それよりも。久しぶりに会ったんだから付き合いなさい。食事…良いでしょう?ゆっくり近況を聞かせて…」
まさか自分もか?…とカイがネイサンを見ると、彼は当然よ!と言った表情で口の端を上げた。何やら怪しい存在ではあったが、自分の用で呼び出させて、しかもこれから世話になるだろう相手をはねつける事も出来ず、カイは同行する事に同意するしかなかった。ともかく、手紙の件は何とかなりそうだ。
カイはほんの少し肩から荷が下りた様な気がした。
そして同時に、このネイサンと言う男と、将来の義弟が一体どういう間柄なのか…二人の会話を聞くにつれ、疑問が浮かび上がるのだ。
二人とも、カイの頭上に浮かぶクエスチョンマークなど全く気が付かないふりをして青の辺りの説明を端折っている。
そこらの男ならどうでも良い…。
しかしハジは…。
何しろ、大切な妹の伴侶となる予定の男なのだ。
何か怪しい過去や疑惑があっては許されない。
食事に同行する事で、彼らの関係が明らかに出来るかも知れないのだ。
カイは緊張した面持ちで、密かにゴクンと喉を鳴らした。
 
□□□
 
「さあ、好きなだけ食べて飲んで頂戴!」
三人が辿り着いたのは、表通りから外れた隠れ家的な趣の洋風居酒屋だった。
どうやらネイサンと言う男の行きつけらしい。
しかし意外な事に、カウンターの奥に立つ店主はハジとも面識がある様子で、少し驚いたような表情で『お久しぶりです』と頭を下げた。
店内は思った以上に狭かった。カウンターとテーブル席が二つほど。
他に客はいない。
しかし店内の雰囲気は悪くない。落ち着いた照明とシックで洒落た内装は流石都会の店…と言う感じで、同じ居酒屋でもOMOROとは全く違う雰囲気だ。OMOROが家族連れも賑やかに楽しめる親しみ易い店とするならば、ここは静かで…正しく秘密の隠れ家と言った趣だった。
ネイサンは慣れた様子で幾つかの料理をオーダーし、『適当につまみましょう?』と言った。それぞれにアルコールの注文を済ませると、ハジは隣に座るカイの耳元に小さく告げた。
「小夜に電話してきます」
食事を済ませて帰る事を律儀に連絡する将来の義弟に、カイは曖昧に頷いた。
この男と二人きりにしないでくれ…内心そう思ったが、まさかそれをそのまま口にする訳にはいかない。
「ねえ、小夜って誰?…ハジの、今の恋人?」
一旦店外に出る男の背中を見送ると、ネイサンは耳聡くカイにそう尋ねた。
「…小夜は、俺の妹で…。二人は婚約してるんです。……今は一緒に住んでて…」
そんな事をいちいち説明している自分がどこか情けなかった。
カイの言葉にネイサンは目を丸くする。
「婚約!じゃあ…結婚するのね?…ハジ」
「まだ、日程は決まってないみたいですけど…?」
カイの言葉など聞こえない様子だった。
何やら感慨深そうに、『おめでたいわねえ…』と繰り返す。
小夜の兄として素直にめでたいと喜んでくれるネイサンに、少なくとも最初に抱いた程の不審は薄らいでいた。
躊躇しない訳ではなかったが、カイは思い切って口を開いた。
「どういった関係なんですか?彼と?」
「昔、私の店で働いてたのよ、彼…。ほんの少しの間だったけど…」
「店?」
運ばれてきたアルコールのグラスと料理ににっこりと笑って、ネイサンは手際良くそれぞれの皿に取り分けてカイに勧めた。
真っ白な皿に彩りも鮮やかなグリーンサラダ、ピッツァマルゲリータ、鴨の生ハム、牛フィレ肉のグリル。
美味しそうな料理に思わず腹の虫が鳴る。
「…私、いくつかお店やってるのよ」
「…レストランとか?」
本気でそう思った訳ではないが、緊張を誤魔化す様に口に出した言葉はあまりにもわざとらしかった。
ネイサンは『違うわよ〜』と大袈裟に顔の前で手を振った。
どうにも彼は言動が女性染みていると、カイは頭の片隅で確信した。
「…夜のお店。ま、銀座じゃないけど…いわゆるクラブなんかを手広く経営してるの」
その答えは、ある意味予想通りだった。
そう言った世界の人間でなければ『伝手』などある筈もない。
しかし、そのクラブで…夜の店でハジが働いていた経験があると言うのか…!
軽い衝撃を覚え、カイは口元を引き締めた。
大切な小夜の伴侶として、それどうだろう?日頃、職業の貴賤など考えた事もない男も、いざ妹の事になると前が見えなくなるらしい。
しかし、そんなカイを尻目にネイサンは思い出話を続けた。
「今から何年前になるのかしら?…彼まだ未成年だったわ…。今よりもっと線が細くて、物凄い美少年だったわよ。相変わらず…でも今はもう美青年ね…」
「…………………」
「流石に未成年は困るって一旦断ったんだけど、ほら…コンビニのレジなんかよりずっと時給は良いし、なんだか放っておけない雰囲気でねぇ…。…勿論フロアじゃないわよ?…流石にホステスは無理だもの。カウンターの奥の雑用なんかね…。学生だって言うから昼間は講義があって働けないじゃない」
「…………………」
「無口で、真面目で、良く働いたわ…。それでいて、昼間の講義もきちんと受けて…成績優秀だったのよ。本当にいつ寝てるの?って感じ…」
そう語るネイサンの口調は楽しげだった。どこか親馬鹿な親を見ている様でもあった。
「…………………」
「…でもね。お店の中は穏やかじゃなかったわよ?…そりゃそんな若くて綺麗な男の子が働いてたら、お店の女の子が浮ついちゃってね。些細な事で張り合うし、喧嘩はするし。それで、ハジには、いい加減まともな所で働いた方が良いって事で辞めて貰ったの。ちょうど常連さんが彼の事を気に入ってたから、使って貰える事になって。…それが今の社長よ」
「……へ、…へえ」
今の社長と言われても、カイは全くどんな男かは知らなかったが…。
とにかくそんな事情で、クラブを辞める時に『何かあったら電話して』と、この男、ネイサンの携帯番号を与えられていたという事か。
それにしても…随分可愛がられていたものだと思うが、しかし二人の会話から、それ以来会うのは初めての様子だった。
「……それにしても随分と大人になったわね。昔はもっとゆとりが無くて物欲しげな子供だったっていうか………あなたの妹さんと、結婚するのね?」
ネイサンの視線はカイを通り越して、遠い過去に向けられている様だ。
「………俺も詳しい経緯は聞いてませんけど、どうもそうみたいです」
兄だと言いうのに…。
自分が今現在の小夜について何も解っていない事に改めて愕然とする。けれど家族に心配を掛けてまで仕事を辞めて、日本を飛び出したのは自分の方なのだ。自分は小夜の兄なのだと覚悟を決めた時点で、彼女とはもう別の道を歩き出していた筈だ。
「あ、それで…。あの…物欲しげな子供だったって…」
「……自分じゃ認めてないでしょうけど、そっけない癖に…愛されたい!ってオーラが全身から溢れてたわよ…。母性本能をくすぐるっていうか…。家庭に縁が薄いみたいね…彼、だからこんな店で働いてないで…真っ当に就職して、いつか良い娘と結婚してくれれば良いな…って思ってたわ…」
そして、不意にネイサンは真顔になると…
「その小夜っていう、あなたの妹は…勿論良い娘なんでしょうね?」
と、カイに念を押した。
口調は柔らかなものの、その目は笑っていない。
「勿論です!」
強く胸を張って答えながら、それを逆に問い質したいのは自分の方だと胸に呟く。
大切な俺の妹の、小夜の、夫となる男なのだから…。
カイの答えに満足したのか、ネイサンはにこやかな表情を取り戻し、『手紙の件は何とかしてあげる。これでも顔は広いのよ…』と、カイの肩を叩いた。
「すっかり打ち解けた様子ですね…」
背後から、感心した様に二人を覗き込む。
滑らかな動作で席に戻ると、『安心しました』と付け加えた。
「な…なんだよ。打ち解けた…って…」
「あら、言葉通りでしょ?」
「……言葉通りですが?」
二人の声が重なる。
このハジと言う男に悪気はないのだろうが…。
しかしどこか遊ばれている気がして、カイは仏頂面を隠しもせずに唇を曲げた。
「ねえ、聞いたわよ?彼の妹さんと結婚するんですって?」
「………………」
ハジは無言のまま、じろりとカイを睨み付け…間をおいてゆっくりと息を吐くと、ネイサンに向き直った。
「…ええ。ですが、まだ彼女は学生ですから…」
些か固い口調で手短に答え、語尾を濁す。
「やだ…。そんな若い娘さんに手を出しちゃった訳?」
しかしネイサンは全く気にした風もなく楽しそうに呆れて見せた。
何処かうんざりした様に、けれどやはり婚約していると言う事実に幸せを感じているのか…満更でもない様子で、ハジは答えた。
「変な言い方をしないで下さい…」
 
□□□
 
結局、店を出たのは午前零時を過ぎていた。
ネイサンは明日の夜までには手紙を渡す段取りをつけると約束し、『明日、同じ時間に、同じ場所で…』と待ち合わせの場所を決めた。
ハジは『どうにも仕事が抜けられそうもないので…』と同伴しない事になったけれど、手紙を渡す事さえ出来るなら、そこまで世話を掛けるつもりはなかった。
真夜中の路上で、隣を歩く男の肩先を見るともなしに視界に収め、カイは思う。
『役に立てるかどうか解らない』どころではない。
ネイサンと言う存在を紹介された事で、手紙の件は全て片が付いてしまいそうだ。
素直に有難い…と思う気持ちと、お堅いサラリーマンでありながらネイサンの様な人物とも親しい…この妹の婚約者に対して、どこか複雑な心境も隠せなかった。
終電を逃し、タクシーを拾う。
辞退しようとして、カイは強引に社内に引きずり込まれた。
「…小夜に、お兄さんを連れて帰ると約束しましたから」
「お兄さんはやめてくれ…。カイで良い、それにもう逃げないって…」
タクシーの後部座席で男にコートの裾を握りしめられて、諦めた様にカイは唸った。
 
改めて見上げれば、二人の住まうマンションはかなり高級な部類に入るのではないか…。
タクシーを降り、その高層の建物を見上げ、胸の内に芽生えていた複雑な心境ははっきりと輪郭を露わにした。
それは、コンプレックスと呼ぶ類の物だ。
このハジと言う男は、明らかに自分とは違う世界の人間なのだ。
大企業に勤め…其れもエリートだ…高級マンションに住み、顔も広い。
さぞ仕事も出来るのだろう…。
勧められるままに随分と飲んでしまったお蔭で、自分が酔っていると言う自覚はある。
しかしだからこそ、この感情は本物だとも思えた。
 
                   《続》

20130116
週末更新を目指していたのに、結局こんなに遅れてすみません!
今更感満載なクリスマス話、あと一話お付き合いください〜。
 
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