小夜たん怖いテレビを観る

つん…と袖を引っ張られる感覚に何気なく振り返ると、どこか心細そうな表情の小夜が見上げていた。
「…小夜?」
何か困った事でもあったのだろうか…と名前を呼ぶと、彼女は幾分気まずそうに男の袖を掴んでいた指を解いた。
「……………何か?」
「………ううん、あの…ちょっと。…ごめんなさい…」
会議が長引いて少し遅めに帰宅したハジは既に食事も外で済ませており、ジャケットを脱いでネクタイを緩め、今から浴室へ向かおうと言うタイミングだった。
そう言えば、小夜はハジが帰宅してからずっとハジの後をつけ回している。
それはまるで刷り込みされたひよこが親鳥の後を付いて回る様にぴったりと…。
時々小夜はそうして男の傍を離れない事がある…けれど今夜はどこかその様子がいつもと違う様な気がして、ハジは尚も問い掛けた。
「別に謝る必要はありませんが…。…留守中に何かあったのですか?」
「………笑わない?」
小夜の答えはハジの予想から外れていて意外なものだったけれど、とにかくハジは小さく『えぇ…』と頷いた。何か笑われる様な事をしたというのだろうか…しかしそれが自分の後を付いて回る事とどう繋がるのかがハジには理解できなかった。
「…あのね、一人で見ちゃったの…」
「………………」
「……怖いの…やってて…」
小夜の言葉に、漸くハジはあぁ…と納得する。
そう言えば新聞のテレビ欄に、夜7時から心霊特集の文字が書いてあった様な…。
どうやら彼女は、ハジが帰宅する前に独りでそれを見てしまったのだ。
そうと知ったのは一緒に暮らす様になって随分経ってからだったけれど、小夜は案外にも怖いもの好きで…そう言った番組を好んで見たりするのだ。
しかし好きな癖に怖がりで、一人では見られない。
ハジとソファーに並んで座っていても、彼女は肝心のシーンになるとぐっとハジに身を寄せる。そうしてさり気なく男の大きな手を取ってきつく指を絡め、男の腕にしがみ付いてテレビから目を逸らし……それでも気になってちらちらと顔を上げたり、逸らしたりを繰り返す。一人で見られない様なものなら見なければ良いと思うけれど、顔を手で隠しながらも指の隙間はしっかり開いている彼女の様子が可愛くて、男は心霊番組鑑賞にこれまで何度も付き合ってきた。
「…今夜はどんな内容だったのですか?」
視聴者投稿の再現VTRだろうか…それとも芸能人の体験談。最近多いのはホームビデオに写り込んだ霊の姿…だったり、ある筈の無い物が映っている映画。
男自身は大して興味もないのに随分と詳しくなってしまった。真偽のほどは定かではないが、しかしハジにとって怖いものは全く別の、もっと現実的な事柄だ。
「…そんな怖い事、話せないよ!…思い出しちゃうでしょ!!」
まるで居直ったかの様に、強く主張する。
「…………それは、すみません!」
素直に謝罪して、ハジはネクタイを抜くとクローゼットのハンガーにそれを掛けた。
威勢良く自己主張する割に…シャツの裾を引っ張らないまでも小夜は尚もハジの後ろを付いてくる。小夜の事は目に入れても痛くない程愛しているけれど、流石にこれでは居心地が悪い。何しろ脱衣所の中までついてくるのだ。
「……小夜?」
「……………」
「…私は今から、お風呂に入るので。……三十分ほど…」
リビングで待っていてくれないだろうか…。
「ぁ、………………ダ…メ?」
「…二十分で…。………?」
この際、湯船にゆっくり浸かるのは諦めて、さっと髪と全身を洗って…二十分…。
これ以上は幾ら何でも慌ただし過ぎる…。
ハジと小夜が口を開いたのはほぼ同時だった。
見ると小夜の頬が真っ赤に染まっている。
「…………何が、駄目なのですか?」
「…………………」
「…小夜?」
「………一緒に、お風呂に入っちゃダメ?」
「………………いえ、……その、……駄目という事は、ありませんが…。しかし、貴女はもう入浴を済ませたのでしょう?」
確かめるまでもない。
小夜の髪は明らかにまだ湿り気を帯びていたし、既にパジャマにも着替え終えている。
「…何度入っても、良いでしょう?」
確かに一日に何度入浴しようがそれは個人の自由だ。
上目遣いにそう訴えられては、敢えて断る事など自分に出来る筈がない。
勿論、彼女を愛する男としても…。
「…………い……いけなくは…ありませんよ」
時々は一緒に風呂に入る事もあるけれど…。
こんな風に甘えた表情で『一緒にお風呂に入っちゃダメ?』…だなんて…。
幾ら怖い番組を見たからと言って…、小夜はどれ程男の理性と言うものに信頼を置いているというのだろう…。
「…あ、ハジ…。脱ぐとこは見ちゃダメ!…向こう、向いて…?」
パジャマのボタンに指を掛けたポーズで、小夜がにっこりと笑う。
問答無用の小夜に慌てて背中を向けながら、ハジには何は良くて、何が駄目なのか…その曖昧な境界に悩まずにはいられない。
今更…そんな姿を見られたところで…と、思わずにはいられない。
何しろ自分は、小夜の…………な姿も、…………な可愛らしい声も、全てを…多分彼女以上に知り尽くしているのに?
頼りにされていると言えばそうだろう…、しかし…。
果たして自分は信頼されているのか?
それとも既に男として意識されていないのか?
背後で小夜がパジャマを脱ぐ衣擦れの音が微かに響いて、ハジはふいに我に返る。
小夜が思うほど、男の理性は強くないのだけれど…?
彼女はその辺のところをどう考えているのだろう…。
一度、きちんと問い質してみようか…。
背中を向けたまま、男は小さく苦笑を零すのだった。

                      《とりあえずここまで…》

20111020 
2011年9月5日のブログに載せたSSです。仔うさぎで、続きが某所にございます。
うんうん、小夜たん(の体)に一度問い質してみると良いよ。
でも、小夜たんはハジの事信頼してるし、頼りにしてるし、男としても勿論物凄く意識してるけど、一緒にお風呂に入れても、脱ぐところは見られたくない…とか、洗うところは見られたくないとか…女の子にも色々事情があるんだよ。
流石にお風呂の中までここには載せられないので、ここで終わります…。


                         BACK