楽園の仔うさぎ


カーテンの隙間から漂う早朝の気配にもう明け方だろうと予想は付くけれど、腕を伸ばして枕元の目覚ましを確かめる気にはならない。寝室はまだ薄暗く、意識は半分眠ったまま…肌触りの良い羽根布団にくるまっていると、そこは楽園の様に暖かだった。
小夜の体を柔らかく拘束する男の腕、白い枕に流れる様な黒髪。
焦点が合わない程傍に、彼がいた。
すぅ…と安らかな寝息を立てている。
いつも早起きのハジが、今朝は本当によく眠っていて…。
それは単に自分が珍しく早くに目が覚めただけの話なのかも知れなかったけれど、とにかくそんなひと時が小夜には嬉しくて…。
ハジの伏せた白い瞼の影に見入る内に、あんなに眠かった意識がどんどんと冴えて来る。
このところ、仕事が忙しかったせいだろうか…。
普段どれほど忙しくて帰宅が遅くなっても小夜には滅多に疲れた表情を覗かせないハジが、こうして無防備に眠っている姿を間近で見ていると、守ってあげたい…癒してあげたい…と言う気持ちがむくむくと小夜の中で育ってゆく。

睫毛が長い…。
男の人なのに…不思議なほど肌はつるつるだ。

彼が目覚めている間にはとてもこんな風にまじまじと観察する事なんて出来ないから、小夜はつい瞬きも忘れる程じっとハジを見詰めていた。
ずっとそうして見詰めていても、小夜はハジを見ていて飽きると言う事が無い。
自分が恥かしくなる程、ハジは綺麗なのだ。
よく女性向け雑誌などで男性モデルの素肌を目にした事もあるけれど、小夜は絶対にハジの方が綺麗だと思うのだ。特に鍛えている様子も見受けられないけれど、胸もお腹も見事に引き締まっている…あぁ…腹筋が割れると言うのはこういう事を言うのだと気付いた。
そんな綺麗な男性が自分の恋人だなんて未だに信じられない。
小夜は自分が今彼の腕の中にいる事も忘れ、ぎゅうと自らの頬を指先で抓った。

「……ん。……小夜?」
「…ご、ごめんなさい」
折角眠っている彼を起こしてしまわない様に、じっと息を殺していたと言うのに…。
身じろいだ腕の中の気配に薄らとハジが目を開ける。
つい謝罪の言葉が付いて出る小夜に、ハジは状況も飲み込めないまま苦笑した。
「……朝から…何を…謝っているのですか?」
「…起こしちゃってごめんなさい…」
「…………構いませんよ…?」
まだ起きぬけの青い瞳が、優しく潤んでいた。
きっとハジの事だから、会社には彼に憧れる女性社員も大勢いる事だろう。
彼女達は日頃小夜の知らない仕事中の彼を知っているけれど、しかし今…こんな風に寝起きに優しく微笑むハジを知っているのは自分だけなのだ。
それはどこか誇らしい様な、先程からそんな事ばかり考えている自分がとても恥かしい様な…複雑な心境で…。
かぁっと全身の熱が上がる。
僅かに頬を染め…唇を尖らせて黙り込む小夜に、ハジは不思議そうにぐっと顔を近付けた。
「…本当に、貴女は見ていて飽きませんね…」
「……………何それ…」
それは私の台詞だと小夜が甘い溜息をつくと、小夜を抱き寄せる腕の力がほんの少し増した。
すぐ傍にあった唇が、そっと額に押し付けられる。
ハジもまたゆったりと甘い吐息を吐いた。
「…小夜。…もう一台、ベッドを買おうと思うのですが…」
それは本当に唐突な提案だった。
窮屈な腕の中で何とか小夜が顔を上げてハジの様子を伺うと、ハジは再びその瞼を閉じている。
「…どうしたの?…急に?」
「いえ、前々から考えてはいたのですよ…」
こうして一つのベッドで眠るようになってしばらく経つが、ハジがそんな事を言い出すなんて…今更また寝室を別にしましょうと言う事なのだろうか…。
何か彼に嫌われてしまう様な事をしただろうか…と小夜が眉を寄せて考え込むと、ハジは小夜の不安を察したように続けた。
「…流石にセミダブル一台では大人二人が眠るのには狭いでしょう?」
だからやはり寝室を別にしましょう…と言う事なのだろうか…。
「……そう?」
確かにギュッと寄り添っていなければならないけれど…。
「…私そんなに」
寝相悪くないよ…。
「…シングルならもう一台この隣にくっつけて置けるかと思うのですが…。その方がこれをダブルに買い替えるよりも広くなるでしょう?」
「………?……寝室を別にするって話じゃないの?」
「まさか…。…昨夜もあなたがベッドから落ちそうでしたから…」
「………………」
そんな事があっただろうか…。
それとも夜中に、自分の気がつかない眠っている間にそんな事があったのだろうか…。
だからハジはこうして…毎晩小夜の体を優しく傍に抱き寄せてくれているのだろうか…。
「……そう?…私、そんなに寝相悪くない…」
「……貴女があまりにも私の腕から逃げようとするからですよ…」
それは同時の呟きだった。

…………ハジの、腕から逃げる……?

一瞬遅れて、小夜がその意味を理解する。

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」

ハジは相変わらず、綺麗な瞼を閉じて夢と現実の間をたゆたっている。
そんな恥かしい事を、何事でもない様子でさらっと言わないで欲しい。
小夜が尚更頬を染めて唇を噛むと、ちらりと薄眼を開けてハジが笑った。
「…本当に、貴女を見ていると…飽きると言う事がありませんね…」

…可愛い人…
ハジの唇はそう象ったのだろうか…?

起きるにはまだ早いですよ…とでも言う様に、小夜を抱き寄せる腕に尚更力がこもった。
小夜もまた赤らんだ頬を隠す様に、男の胸に強く顔を埋めた。

窓の外が完全に朝の光に包まれるまで、二人にとって…ここは楽園の様に暖かなのだ。
   

                    ≪了≫

20100327
なんて言うか、その…セミダブルに二人は狭い…と思う…のは、私だけ?


2010年1月24日のブログに載せたSSです。