『この刀は、我が主のものです』
彼は静かな声で、私にそう告げた。
 
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妖刀というものがこの世に存在するのなら、これがまさしくそうなのではないかと思えるほど、一目見た瞬間から私はこの刀の魅力に夢中だった。
 
それはとても、変わった刀だった。
時代は感じられない。まだ比較的新しい時代の物の様だった。
私も長い間古美術商として刀剣を扱ってはいるが、今までにこんな形状の刀を見た事はなく、一見日本刀の様式を兼ね備えてはいるが、デザインはどこかヨーロッパ的な匂いを感じる。
鞘から抜くと切っ先に向かって幾重にも枝分かれした溝が不思議な文様の様に彫られていた。
刀身に彫刻を施したものを一般には彫物と言うが題材には神仏名や梵字などの文字であったり、不動明王や倶梨伽羅などの絵画的な題材も多く見られる。
しかし、これは今までに見た事もない形状だ。
彫物と言うよりは、刀身を軽くする為の樋の役割を担っているのだろうか…。
鍔には、これまた日本刀には珍しい薔薇のモチーフが刻まれ、一番に目を引くのは…目貫の代わりなのだろうか…柄の根元近くに大きな赤い玉石が嵌め込まれている事だ。
観賞用に作られた模造刀…美術品の様でもあるが、しかしその刃は実際に使い込まれた様が見受けられた。
何を切ったと言うのか…江戸の昔ならともかく…この二十一世紀の世で…。
 
値段は二束三文だった。
知人の伝手で紹介された山奥の旧家、その代が代わり家を建て替えるのに伴って蔵を処分するという。
偶然その蔵の荷物の中から見付け、その他の古道具と一緒に引き取って来たのだ。
 
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「………君は?」
私は思わず言葉を失いかけた。
まさかそんな正体の知れない刀の持ち主を知る人物が現れるとは思ってもいなかったのだ。
昼なお薄暗い骨董店の店先に突然現れた青年を、私はつい不躾な視線で舐めまわした。
まだ、若い。
二十歳を幾つも出てはいないだろう。詳しくは知らないが、もしかしたら芸能人の類かも知れないと思わせるほど、その青年は整った容姿をしていた。日本人離れした顔立ち、透ける様な白い肌。
その青い瞳は思慮深い色を湛えている。
そして印象的な黒い髪。
緩く曲線を描く黒髪を背中にまで垂らしていた。
黒いスーツに身を包み、真っ直ぐに私の前に立つ姿はどこか常人離れしている。
その刀と同じく、不思議な魅力を持った青年だった。
目が離せない。
「…私は、ハジと申します。永い間…行方の知れなかったその刀を探していたのです…」
探していた…と言う事は、ひとまず客だと思って良いのだろうか…。
私は青年に席を勧めると、手にしていたその刀を太刀台に戻した。
怪しいと思わない筈はなかったのに、その時はこの不思議な刀の由来が明らかになるかも知れないと、下手な好奇心の方が勝っていたのだ。
青年は勧められるままに、傍らの椅子に腰を下ろしたが、視線はずっとその刀に注がれていた。
どこか懐かしむ様な、愛おしむ様な…柔らかな視線はこの刀との縁を物語っているようでもあり、無碍にも出来ないまま、私は仕方なく茶でも入れようかと手元の急須に手を伸ばした。
元はと言えば父親の骨董好きが高じて開いた骨董店を、否応なく引き継いだだけの自分にさほどの目利きがあるとも思えない。骨董などが商売として儲かるのはほんの一握りだろう。
目利きでもなく、商売人として口が達者な訳でもない。そんな自分がどうして今までこの店を続けてきたかと言えば、こうして古いものに囲まれて過ごす時間と、その物にまつわる歴史の重みと言うものが好きなのだ。
「この刀はとある好事家の古い蔵から見付かったものですよ。偶然にも今は私の手元にありますが…今までこの様な変わった刀は見た事がない。…美術品のなまくらかと思えば実戦で良く使い込まれた様子だ。…この刀の由来を、お客さんは知っているのですか?」
来客用の萩の湯呑にゆっくりと緑茶を注ぎながら、私は青年の様子を伺った。
ハジと名乗る青年は、その間も微動だにしなかった。
視線はじっと刀に注がれたままで、青年は答えた。
「ですから…これは私の主の持ち物なのです。訳あって…手元を離れていましたが、とても大切なものです…」
「なるほど…」
譲ってくれと言いたいのだろう…。
客だと言うのなら、売らないではない。しかし、どうしても私はこの刀にまつわる話が聞きたかった。
もしそれが作り話だとしても、聞いておいてこちらに損はない筈だと思った。
「それほど古いものにも見えないが、お客さんのご主人はこれで何を切ったんです?…それとも古くから家に伝わる品なのですか?」
「…………。宿命を…」
「………それは何かの例えですか?………お客さんがこの刀を譲ってくれと言うのなら、譲りましょう…。だが…こういうのを悪い癖だと言うんでしょうねえ…。私は単にこの不思議な刀の由来出所が知りたいのですよ…。気を悪くされたと言うのなら謝ります…別に人のプライバシーを覗こうとか…そんなんじゃぁない…」
「…“人”には知らない方が良い世界と言うものがありますが…それでも宜しいのですか?」
青年の声はあくまで穏やかで、冷静だった。
しかし青年の何か含みを持った発言に、この刀の由来がどこか不穏なものである予感が働いて、好奇心から益々私はそれを知りたくなる。
この常人離れした青年の、よく響く美声はまるで麻薬の様で…もしかしたらその様に仕向けられているのかも知れないと思いながら、刀に執着する自分を抑えようも無くなってゆく。
つい数分前、この青年が目の前に現れる前までは何事も無い平和な日常だった筈なのに…。
「…聞いてしまえば、知らなかった頃にはもう戻れません。それでも、宜しいのですね?」
念を押す様に、ハジと言う青年は言い募った。
構わない…。
知りたいという気持を、どうして抑える事など出来るだろう…。
好奇心、知識欲…この感情を何と例えれば良いのだろう?
「構わない。……自分でも不思議だが、どうしても、知りたいんだ…この刀の事を…。話してくれるなら、無償でこれを渡しても良い…」
「可笑しな事をおっしゃいますね。…これは、最初から我が主の物だと言ったでしょう?」
喉が渇く…。
喉の奥が焼けつく様に熱くて、ひりひりと乾く。
どうしてこんなに…喉が渇くと言うのだ…
私は卓上の湯呑からがぶがぶと茶を啜り、足りなくなると新しい茶を湯呑に注いだ。
「…ご主人。……翼手という存在をご存知ですか?」
翼手…?
私は思わず喉を鳴らして身を乗り出した。
そして青年の話す内容は、常軌を逸していてとても現実とは思えないものだった。
 
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翼手という未知の生物にまつわる悲しい物語。
敵同士として戦わなければならなかった双子の姉妹。
恐ろしい人類の裏側の歴史。
そして愚かしい欲望。
 
青年は一息にその一連の事件の大まかなあらましを語った。
作り話にしては良く出来ている。
しかし平凡な人類の、しかも頭の固い大人である私は…まさかその話をそのまま飲み込む事が出来る筈が無かった。
「…俄かに信じられる筈がない」
「信じる信じないは、あなたのご自由です…。私は唯、その刀を…取り戻しに来たのですよ…。それは…こんな場所にあって良いものではない」
青年はきっぱりとそう言い捨てて、素早い動きで刀台からその美しい一振りの刀に手を伸ばした。
制止する間もない。
彼は、その刀を愛おしそうに両手に取ると、まるで恋人を抱く様にかき抱いた。
 
 
………美しい。
 
 
思わずそう感想を抱かずにはいられない程、その姿は美しかった。
通りから射す午後の柔らかな光を浴びて青年の美しい黒髪はその艶を増し、作り物の様なその白い肌は透明な光を弾いている。
その姿はまるで一枚の絵画の様だ。
どこか尊い気品さえ感じさせる。
 
「それで、その…。どうしてこの刀が…その主の手元を離れたんだ?…君の御主人は…今どこに…?」
話に乗る訳ではないが、刀を抱き締めたまま微動だにしない青年に、私は納得のいかないままそう尋ねた。
青年は固まったまま、ちらりと青い切れ長の瞳を私に向ける。
その瞳が微かな寂寞を映して揺れていた。
 
…あなたはまだ…ご自身が切られなければならない存在だと言う事には気付いていらっしゃらないのですね…
 
彼の唇は、そう象ったのだろうか…?
 
しかし、その意味を確かめる間もなく…私の視界は真っ赤に染まっていた。
振り下ろされる刃の下で、一瞬線の細い少女の姿が青年のそれと重なる。
青年の指先に労わる様に掌を重ねる…その表情はあまりにも切なげで…
青年の横顔を見詰める瞳は愛おしさに溢れていた。
 
 
□□□
 
 
がらん…と鈍い音を立てて、刀が三和土に落ちた。
 
不意に現実世界が迫って来る。
気がつくと、既に店内は暗く日は沈みかけていた。
長い夢を見ていたのだろうか…。
しかし夢と呼ぶにはあまりにも生々しいその感触…。太刀を受けた肩から背中に掛けて、焼けつくような鋭い痛みが走る。
私はゆっくりとした動作で、床に落ちた風変わりな刀を太刀台に戻した。
「…本当に、これは妖刀なのかも知れないな…」
手にした瞬間に人は、既にその魅力に取り憑かれているのかも知れない…。


時が流れ…やがて青年の語ったその刀の由来は、まるで手の届かない儚い幻の様にするすると解けていつしか記憶の底に沈んでしまったけれど…。
 
脳裏に浮かぶ、あの美しい青年と少女の眼差しは長く私の脳裏から消えさる事はなかった。

                                        
                                          ≪了≫


20091217
実際に書いたのはもう随分前の事で、書きかけてそのまま放ってありました。
貧乏性ついでにコレもアプしておこう。
何を思って、こんな訳解からない物を書いたのか…。
漠然としか覚えてはいませんでしたが、ハジも小夜も既にいない世界ですかね。
(多分、これはバッドエンディングだったと言う事よね…)
人に知られる事のない彼らの戦いとか、想いとか、切なさとか…そんなものがあの刀には染み付いていると思う訳です。
刀が描写したかったんかな?
誰にも知られる事無く、ハジの想いも小夜の想いも…この世から消えて行くのね…。
いつも、二人がイチャツクベタ甘いSSばかり書いていますが、たまには固くて辛口な感じのものが書いてみたかったのかもしれないです。
ここまで読んで下さってどうもありがとうございました!!