rebirth




淡いベビーピンクの花弁が風に揺れた。
 
今時は花屋に行けば、季節感を無視していつだって色取り取りの花が咲き乱れている。
そのマイペースさはまるで彼そのものだ。
そう言えばバラの本当の花期はいつだったろう…と、白髪の混じり始めた髪を撫でてカイは空を見上げた。
朝晩心なしか秋の気配を帯びた始めた空気。しかし日中の太陽の光はまだまだ眩しく容赦がない。額から流れた汗を首に掛けたタオルで拭い後ろを振り返れば、長い石段を上った先にある宮城家の墓からは、遠くにきらきらと輝く海も垣間見えた。
沖縄特有の石造りの大きな亀甲墓。
山の斜面に造られたそれは、大部分が地中に埋まっており入口の扉と表面のみが露出している。屈まなければ入れない程の大きさの石の扉、その中は案外に広く八畳ほどの広さがある。
カイ自身がこの中に入った記憶は一度きり、もう三十年も昔の事だ。
勿論先祖の墓所であるからおいそれと扉を開く事は出来ない。
幸いにもそれ以来一度も中に入る機会はないが、このところカイは三日とおかずここを訪れる。掃除は必要のないほど、辺りは常に清められている。
する事もなく…ただここへ来て、何とはなく墓の前で過ごす。
最近の出来事や季節の様子を語って聞かせる。
墓の中には、彼の年の離れた義妹が眠っていた。そう、今ではきっと親子ほどに歳が離れて見えるだろう…小夜は正しく三十年前の少女の姿のまま、この石の扉の向こうで清浄な繭に包まれ無垢な赤子の様に眠っているのだ。
ただし、カイにはそれをそうと直接知る事は出来ない。
話に聞く限り、そうなのだろうと信じている。
それを知る事が出来るのは、ただ一人…小夜のシュバリエである青年、ハジだけなのだった。
シュバリエというのは翼手の女王を守る為の存在で、その絆は心身共に深く結ばれているのだ。勿論彼も実際にこの扉の向こうに立ち入るような事はなく、ただシュバリエの本能として女王の眠りが健やかなものである事を感じ取る事が出来るという、ただそれだけの事だ。
カイはぼんやりと空を見上げた。
現実の事だと解かってはいるけれど、実際に小夜の元気な姿を見るまではどこか信じられないような気持もあった。しかし確かに、小夜の眷属である青年は三十年前からその容姿が衰える事はなかった。
当時、共に戦ったのは僅かに三年にも満たない短い月日だ。
瞬きする間のない程一瞬で駆け抜け、それまでただ漠然と、安穏としていたカイの人生をガラリと色の濃い濃密なものへと変えていった。
充分に二人の身の上について理解はしていても、次第に齢を重ねていく我が身を省みるにつけ、ハジの色褪せる事のない美貌の前に、じわじわとその差を見せつけられた。
所詮、兄妹だとは言っても、眷属であり恋人である男に勝ち目はないのだと…。
しかし不思議と悪い気ばかりでもない。
人として、小夜の姪である双子の姉妹を育てる事が出来たのもまた…自分だけに与えられた使命であったのだと自負している。
彼女達も今は当時の小夜と見紛う程に成長した。
成長の止まった娘達を流石に手元に置いておく事は出来なかったが、フランスの赤い盾本部で暮らす二人とはまめに連絡と取り、年に数回は行き来もしている。
 
小夜が目覚めるのは、もう秋の風が吹き始める頃だろうか…。
 
頭の片隅でカイがふとそう思った時、突然に背後でカサリと人の気配がした。
振り向く間もなく、話しかけられる。
「…きっと、もっと早くに会えると思います…」
あまりに突然の事で、一瞬怯んだもののそんな姿をそのまま見せるのは癪な気がした。
何気なく、を装って立ち上がる。
「外からでも、そこまで解かるのか?」
「…ええ」
青年は静かに答えた。
相変わらずの黒衣に乱れはない。
夏の沖縄という場所柄に似合わず、それでいて涼風を纏うような清冽な姿…それは彼の生き様そのものだ。
長く黒い髪は、緩くうねっていつしか背の中ほどまで伸びている。
以前の様に結わえていないせいで、風が吹く度に、ふわりと揺れるその艶やかで美しい事…。
白い肌は日に焼けるという事を知らないのだろうか…まるで作り物ではないかと疑いたくなる程に肌理の整った肌はあの頃から少しも見劣りしない。
こうしていると、外見的には彼がその時の流れを止めた二十代前半の姿である筈なのに、彼の瞳にはやはり彼の生きてきた年月の重みというものが垣間見える。
そうして彼が本当の意味で今の穏やかな心情に辿り着くまでの、二人の長い戦いの過去を思えば、それも当然だとカイは思う。カイが実際に知るのは、彼らの戦いの最終章だけなのだ。
今、その青い色は酷く澄んで穏やかだ。
言葉にこそしないものの、彼が穏やかでいてくれる事はカイにとっても救いなのだった。
「なあ…そう言えば、一度聞こうと思ってたんだ…」
汗一つかく事のない青年に、カイは問い掛けた。
 
まるで話をそらすように…。
まるで、世話を焼く兄の様に…。
 
「…何でしょう?」
「どうしていつもピンクのバラなんだ?」
カイは墓前に捧げられた淡い色の花を見やった。
それは、青年が毎日恋人小夜の為に捧げるバラだ。
「………………それは」
尋ねてしまってから、カイを深い後悔が襲った。
どうしてこう自分は、ハジに対してもう少し気の利いた話題を見つけられないのだろう…。
口にする事を憚るような一瞬の間に、ややカイの表情も引きつっていた。
二人の間には、彼らだけの思い出というものがあるのだ。
これではまるで二人の思い出に下世話な興味を抱いているようではないか…。
それとも、自分が変に気の回し過ぎか…。
けれど、青年は…
「それは、小夜が好きな色だからです…」
と、気にした風もない。
一度は行方の知れなくなったハジと再会を果たしたのは、小夜が眠りに就いて何年後の事だったろう。
小夜の眠る沖縄に戻った彼に、もっとOMOROに顔を出す様に言った事もあったが、やんわりと微笑まれて拒絶された。
彼はまるで風の様に生きていて、決して一か所に居着くという事がない。
勿論、眠る必要すらない身ではそれがより自然なのかも知れない。
何より彼にとってはOMOROよりも、むしろこの墓の前こそが帰るべき場所なのだ。
ハジに会いたければ…ここに通えばそのうち会えるだろうという…そんなものだ。
しかし…。
意を決したように、カイは告げた。
「…そろそろ本当に、一度OMOROに戻って来いよ。…あぁ、いや、お前にとっては戻るってのも変な話だけど…小夜が起きる前に色々準備なんかも必要だろうって香里が心配してたからさ」
「…………………」

「…ま、まあ。…お前と違って小夜は野宿って訳にはいかないしな…」
過去にもカイとハジとの間に、会話が盛り上がった事などない。
またダンマリで済まされるのかと、カイが諦めかけた頃、ハジはほんの少し表情だけを緩めた。
「……ありがとうございます」

思いがけず、まじまじと正面からそんな風に礼を言われれば、女性でなくとも頬が赤らんでしまいそうだ。
「……小夜にとってはOMOROが帰るべき場所なのですから…」
静かな瞳でハジはさらりとそんな事を言う。
全くの嘘ではなかろうが、小夜の帰るべき本当の場所はこの目の前に佇む男の胸の中なのだ…とカイは心の中でごちた。
これでも三十年前には、二人で小夜を争った仲なのだ…と、カイは一人で勝手に解釈している。小夜にとって所詮兄は兄でしかなく、例え敵うべく相手ではなかったのだとしても…。
それが今じゃどうだ…。
「ほ、ほら…。男の俺が言うのもなんだけど…着替えとかその、色々…あんだろ…?」
まるで娘とその彼氏にお節介を焼く父親の様な気分だ。
そんなカイの前で、ハジはただ静かに佇むばかりだった。
「俺達は、小夜の目覚めに立ち会うのは初めてだし…。…そりゃお前に全部任せときゃ良い事は解かるけど…」
「いえ、…本当に、感謝しています。小夜も、この様な穏やかな時代を過ごすのは初めての事ですから…」
…そうだ。
小夜にとっては何の憂いもなく過ごせる時代など、過去には一度として存在しなかったのだ。
動物園で過ごした平和な時間ですら、小夜は自分の正体に怯え、自分を囲む人々との違いに不安を抱いて過ごしてきたのだろう。
そして、唯一目の前のこの男だけが、小夜の心の悲しみを理解し、癒し、守り、そして結果的には種族の壁を超えて小夜を支え続けてきたのだ。
改めて、カイは目の前に立つ男の顔をまじまじと眺めた。
この静かな表情の下に、どれほどの深い愛情と情熱を秘めているのか…あの頃には解からなかった事が今ならば手に取る様に解かる。
ハジにとっても、それは初めての経験になるのだろう…。
「…ハジ。嬉しいんならもっと解かり易く笑え。別に今更、恥ずかしい…って訳じゃないだろ?」カイの物言いに、ハジは一瞬だけ意表を突かれたように目を丸くした。
しかし、すぐにいつもの無表情を取り戻し、
「………はぁ」
と曖昧に返す。
カイはそんなハジの態度には一切構わずに続けた。
「なぁ、知ってるか?………この亀甲墓ってやつはさ、女性の体内を表してるって説がある。大雑把にこの中が子宮で、入口は産道…。ほらああいう屋根の曲線なんかが女性を象徴してるんだ。人は皆女性から生まれて、女性に還るって思想なんだ…」
「……………」
「小夜はさ、これでやっと…新しく生まれ変われるんだぜ」
「………そうかも、知れません」
頭上で梢がさわさわと揺れる。
辺りは静まり返り、カイはほんの少し言い難そうに間をおいて呼吸を整えると、真っ直ぐにハジを見た。
「…ハジ。今度こそ…幸せにしてやってくれ。……小夜は俺の大事なたった一人の妹だ…」
真っ直ぐなカイの視線をハジは正面から受け止め、こればかりは黙り込んではぐらかすような真似はしなかった。
良く響く声で…
「確かに、お約束します…」
と、深くカイに頭を下げた。
「…そんで、ついでに…お前も小夜に幸せにして貰うと良い。思い切り顔崩して笑える位にさ…」
「…………そう、ですね」

躊躇う様にゆっくりと、しかしさも当然とばかりに答えるハジがほんの少し癇に障る。
しかし、不思議と悪い気はしないものだ。
「…本当に、一度ゆっくりOMOROに顔出せって…」
お節介でもなんでも、自分は小夜のたった一人の兄なのだ。
何なら、花嫁の父親の役だってやってやるさ…と、カイは冗談めかして笑って見せた。
ハジは相変わらず、しらっとした表情で黙っているけれど…。

そうさ、生まれ変わるんだ…。お前も…。……俺も。

優しく揺れる柔らかな色のバラの花弁。



見上げた空は高く澄んで、既に濃厚な秋の気配を漂わせていた。




20090824
ええと〜。今更な感じで、30年後小夜が目覚める直前のカイとハジの会話。
ううん、本当はもっとベタ甘い話を書こうと思ったんですけど…何故?って感じです。

『季節の移り変わり』みたいなものを書きたかったんです。多分…。
変わってゆくのは何も季節だけではあるまい…というような。

アニメ本編では『大丈夫…』と心配しつつも小夜たんがもしカイを選んだらどうしよう…とジタバタしてましたけど、本当は別に全然心配する事はなかった訳で…(笑)
ただ、カイの中には、少しはそういう気持ちがあったんじゃないのかな〜?…と。

まあ、結果良ければ〜というか。

本当はこの後で、カイと香里に色々世話焼かれるハジとか、形式にこだわらなくても〜と言いつつ、
結婚式を挙げる二人の話が書きたかったりします(笑)ベタ甘いわ…これは。

ではでは。ここまで読んで下さいましてどうもありがとうございました!!