イラスト*くーままさま



教室の中は赤く染まっていた。
しかしそれは、血の赤ではない。
燃えるような、それでいてほんのりと優しい夕焼けの色だ。
 
そうだ。
この場所だった。
暴走した翼手を前に、ハジが自らの血を…目覚めの血を与えた場所。
長い年月が経って、建物自体は以前のままではなく建て替えられたものだったけれど、あれは確かにこの場所だったという事を、小夜は不思議な直感で感じる。
ベトナムで暴走し、過去の記憶を全て無くした自分に対して…ハジはどのような思いで見守っていてくれたのだろう…。

こんなに優しいハジを…
その全身全霊で自分を愛してくれるハジを…
きっと自分はまるで見知らぬ化け物を見る様な恐怖の表情で彼を見たのだろう…。
それは小夜のせいではないけれど、しかしその時の事を思うと小夜の心は未だにひりひりと痛む。ごめんなさい…と、そう伝えたかった。
けれど、全てを包み込むような静かで穏やかなまなざしの前に、謝罪の言葉は口にする前に全て赦されてしまう様な、そんな錯覚に陥る。
代わりに、小夜はそっとハジに指を伸ばすと…、その滑らかな頬の輪郭に触れて告げた。
「あの時…ハジが目覚めさせてくれたんだよね?…あの時、私を探してくれてありがとう…」
でなければ、今自分達はこうしてここに居る事は出来なかった。
ありがとう…それは小夜の心から自然に溢れた言葉だ。ディーヴァとの長きに渡る戦いの記憶は、どこを振り返っても千切れそうに辛いものばかりだったけれど…、しかし今こうして三十年後の日々を共に歩める幸せが、小夜をとても穏やかな気持ちに引き戻してくれる。
目の前に佇む漆黒の青年は、けして雄弁ではないけれど…穏やかな深い愛で小夜を支えてくれる。
時に優しく、時に激しく…小夜を求め、愛してくれる。
真っ直ぐに見詰める小夜に、ハジはそっと視線を伏せた。
「あの時、…私はずっと迷っていました、貴女を…本当に目覚めさせて良いものかと…」
「……ハジ?」
「あのまま何も思い出さなければ…」
再び戦いの渦に巻き込まれる事は免れたのかも知れないと…。
しかし、小夜はそんなハジにそっと首を振った。
「…駄目よ。あれは私の戦いだもの…、逃げるのは嫌…」
ハジ一人を無限の地獄に取り残したまま…一人で何事もなかったように…普通の人間として暮らす事など…出来る筈がない。
「ハジが居てくれて良かった。……あなたが、私のシュバリエで…」
でなければ、もうとっくに私は生きてはいないのよ…と、抱き寄せる耳元に甘く囁く。
「…………小夜」
「それに、…私にとって、ハジのいない人生なんて…」
生きる価値もないのよ…と。
細い腕の中に抱き寄せた男の体が、逆に小夜を強く抱き締めた。
彼の顔は見えない。
けれど、耳元で微かに震える嗚咽に、小夜は胸を鷲掴みにされる様な切なさを感じる。
…ハジ、もしかして…泣いてるの?
しかしそう問う代わりに、小夜は熱の籠った声でハジに囁いた。
「…愛してるの。…ハジ」
青い瞳が間近で小夜を覗き込んでいた。
まるで赦しを乞う敬虔な信者の様に…。
小夜は微笑んだ。
 
良いの…。
もう、・・・良いのよ。
 
そうしてそっと、彼の黒髪に指を絡めるとするりと濃紺のリボンを解く。
一つに結われたハジの、緩く癖のあるしなやかな髪が優しく小夜の指を包み込む。
ここがどこだとか…
今がいつだとか…
そんな事は本当に些細な事で…。
求め合う心と体を、二人はゆっくりと解放する。
夕暮れに染まる教室の片隅で、縺れ合う様に二人の影が長く一つになった。

                                      ≪了≫

20090712
くーままさんに頂いたイラストにムラムラと文章を付けさせて頂きました。
小夜たんのセリフはほぼくーままさんのつけて下さったものです…。
30年後、もう戦う必要のない世界では、こうして過去を振り返る時もあると思う。
でも一人じゃないから、30年後の世界も生きていけるのだと思います。
なんかもういい加減、自分のストーカーっぷりが恥ずかしいのですけれど…。
くーままさん、快く掲載の許可を下さいまして本当にありがとうございます!
こうして日々、色々な萌を頂いております。
本当にありがとうございます!!