沖縄の空は晴れ渡っている。
一足先に梅雨入りしたというのに、そんな気配は微塵も感じられなかった。
どこまでも透き通った青い海に繰り返し白い波が立つ様は眺めていると時間の流れを忘れさせ、真っ青な空に浮かぶ眩しい太陽がじりじりと容赦なく照りつけている。
カーステレオからは、控え目な音量で地元のローカルラジオが流れ、沖縄出身のアーティストを紹介していた。
場違いな程明るいメロディーが聴くともなしに耳に入る。
けれど歌詩の意味は小夜の耳を素通りするばかりでやがて気を遣う様にハジの指がそれを止めた。緩くエアコンは掛かっているものの、外の風に当たりたくてほんの少し窓を開けると、途端に小夜の髪が南の風に揺れ始める。
ハジはそんな彼女の様子にほんの少し視線を投げたけれど、またすぐに運転に集中する。
ハジの運転するレンタカーの助手席で、小夜はそわそわと落付かず窓の外ばかりを気にしていた。沖縄を離れていたのは二カ月にも満たないというのに、小夜にとってはどこもかしこもひどく懐かしい景色だった。
 
仔うさぎの溜息・4
 
昨夜、那覇市内のホテルにチェックインしたのは、もう日付も変わろうかという時刻だった。飛行機も、ホテルも、レンタカーも、手配したのは全てハジだ。
昨夜『いつまでも待ちますよ…』といった言葉通り、彼は隣り合ったシングルを二部屋予約していた。ハジのマンションに間借りしているのだから同室だったとしても普段と何も変わらないようなものだけれど、内心、同室だったらどう振る舞えば良いものなのか…と胸を痛めていた小夜は、一人の部屋にほっと張り詰めていたものが緩んだと同時に、微かに肩透かしを食らったような気分だった。
部屋に一人になると、ほぅっと肩の力が抜ける。
まぎれもなく自分は沖縄に戻って来たのだ。
小高い丘の上に立つホテルの窓からは、キラキラと眩しい那覇の街の明かりと星空、そして遠くに海が見える。
夕方までは、まだ大学の教室で講義を受けていたのに…、自分は今那覇にいて…明日には懐かしいコザに帰れる。
そう思うと、小夜の胸はどうにも落付かない。
今更になって、どうして自分はOMOROの最終営業日に帰らなかったのか…強がらずにもっと父に電話をかけていれば良かった…と、後悔の念が浮かんだ。
父は今どうしているのだろう…果たして無事に…元気でいてくれるだろうか。
しかし沖縄に帰ってきたからと言って、会える確証はない。
考え出すとなかなか寝付けず、結局寝た様な気がしないまま小夜は朝を迎えてしまった。
那覇からコザまでは沖縄自動車道を使って一時間程度の距離だ。
簡単にホテルのバイキングで朝食を済ませ、ホテルに配車された赤い小さな国産車に乗り込んだ。ハジは日頃見慣れたスーツ姿ではなく、デニムに白いリネンのシャツを合わせ、髪を解き真っ黒なサングラスを掛けている。何の変哲もないデニムとシャツだと言うのに、長身に長い手足、少し癖のある長い黒髪が風に靡く様はまるでモデルのようで、小夜は朝からまともに彼の姿を見る事が出来なかった。
そんな小夜に違和感を覚えるのか、ハジは時折物言いたげな視線を小夜に向けるけれど、これからの事を思うとどちらも言葉にはならず、ステレオを切った車中は静まり返っていた。
風が強まり、ハジはパワーウィンドウを閉じた。
道路は緑に囲まれ、左手は広大な嘉手納基地が広がっている。
車の数はそう多くないが、見掛ける車の多くはレンタカーナンバーだった。
コザは沖縄市の古い地名だ。
第二次大戦後、進駐軍がコザと呼び始めたのがその始まりだという。沖縄中部の中心都市として発達したコザ市はやがて隣村との合併により沖縄市となり地図からコザと言う地名は消えたものの、今でも市の中心部はコザという呼び名で親しまれている。
市の西側には嘉手納基地、弾薬庫など多くの米軍基地を抱え、それ故に街はどこかアメリカ文化が色濃いエキゾチックな空気を纏っていた。
「この辺り…ですか?」
案内を終えたナビに従い、ハジは小夜にOMOROへの道順を確認した。
「その先の、交差点を左に曲がって…少し行った右側です…」
小夜にとっては生まれ育った街だ。
つい最近までこの街で暮らしていた。
日本文化とアメリカ文化が入り混じった看板の独特の色遣いも、青々とした街路樹の陰の濃さも、何もかもが愛しい。
信号が青に変わり、ゆっくりと発進する車に小夜は咄嗟にかたく目を瞑った。
変わり果てたOMOROの様子を想像すると、逃げだしたい気分になった。
しかし、それはほんの数秒の事だ。ハジはそんな小夜の様子を横目で察しながらそれらしき店の前で、ゆっくりと車を路肩に停める。
「小夜さん…?」
呼ばれて、小夜は目を開ける。
車道の反対、ハジの向こう側に見え隠れする懐かしい父の店。
営業時とさほど変化は感じられない。年季の入ったOMOROの看板もそのまま、ただ今はシャッターが下ろされて、その正面に張り紙がされている。
ハジはそのままサイドブレーキを引いてエンジンを止めると、小夜を促した。
先に車を降りると助手席側にまわりドアを開け、小夜の手を取る。
「………………」
「ここで間違いありませんか?」
ハジの問いに、小夜は小さく頷いた。
どこか無国籍風の店構え、営業時、夜ともなればさぞ賑やかな笑い声に満ちたのであろうその店の今は、初めて訪れるハジの目にもどこかうらぶれて寂しい光景として映った。
シャッターの張り紙には大きく無骨な文字で、しかし丁寧に閉店の旨とこれまでこの店を訪れてくれた客への礼が認められていた。
彼女の父親が書いたのであろうその張り紙は、既に風雨に晒されて破れかけている。
小夜はじっとその文面を目で追っていた。
「小夜さん…」
気遣うようにそっとその名前を呼ぶと、小夜の指が弱々しい力でハジのシャツの袖を掴んだ。無意識の仕草なのだろうか…ギュッと握るその指先が愛しい。
懸命に寂しさと悲しみと…そして不安に耐えている小夜が愛しくて、ハジは思わずその肩を抱き寄せたくなる衝動を強く押し止めた。
「…大丈夫。…解かってた事だもの…。でも……やっぱり付いて来て貰って良かった…。私…一人だったら」
ハジは袖を握る小夜の指先をそっと解くと、逆に大きな掌で強く彼女の手を握り締めた。
何と言葉を掛けて良いのか躊躇いながらも、ハジはぽつりと小夜に告げる。
「…私がいます」
それではいけませんか?と問う様な視線で小夜を覗き込む。
絡め合った指をぎゅっと握り返して、小夜が答えた。
「…ありがとう」
「いえ…、私に…出来る事があれば…何でも仰って下さい」
小夜はじっとハジを見上げた。
今、…こんなタイミングだけれど…彼に伝えても良いだろうか…。
小夜の中に、込み上げてくるその衝動。
「………あのね、…私…、私…ハジさんの事…」
僅かに震える声。
躊躇いがちに、見上げる瞳が真っ直ぐにハジを捕らえた。
小夜は息を呑んだ。
今度こそ、きちんと彼に告げなければ…。
自分もまた、あなたの事をとても愛しく思っているのだという事を…。
「…私…」
「さ、・・・小夜姉ちゃんっ!!?」
正しく小夜がその胸の熱い思いを打ち明けようとしたその時、背後から素っ頓狂な声が上がり、二人は弾かれた様に振り返った。
「…小夜…姉ちゃん?………どうして、ここに?」
数メートル離れた歩道の脇で栗色の髪をした少年がこちらをじっと見つめて固まっている。
「…リ、…リク!!」
するりと指が解け、事情についていけないハジを置いて小夜が駆けだした。
「小夜さん?」
小夜を『小夜姉ちゃん』と呼ぶという事は、彼が彼女の弟なのだろう…。
兄と弟がいるという事は以前に聞いていたが、勿論ハジは初対面だ。
姉よりも随分と明るい髪の色、大きな眼は彼女に似ていなくもない。
幼さの残る顔立ち…まだ中学生だと言っていた…。
小夜は咄嗟に逃げようとする弟の腕を、一瞬早く握り締めていた。
「どうしてリクがここに居るのっ?どうして逃げようとするのよ?…どうして…」
矢継ぎ早の姉の質問に、リクはやや気圧された様子で目を何度も瞬かせている。
ハジは遠慮がちに、小夜の背後に立った。
「小夜姉ちゃん、その人誰?」
「ちょっと、聞いてるのは私の方よ。お父さんはどうしたの?…今二人ともどうしてるの?」
「ちょっと待って。落ち着いて…、ちゃんと話すから…小夜姉ちゃん…」
何とか小夜の腕の拘束を解くと、リクは呼吸を整えた。
「お父さんは、那覇の赤十字病院だよ」
「…何があったのっ?…どうかしたの?…お父さん大丈夫なの?」
「車の事故で…。今入院してるんだよ…」
「そんな事私…聞いてないわよ。どうして連絡してくれないの?私がどれだけっ…」
思わず声高になる小夜を、遠慮勝ちにハジが割って入り制止する。
「……小夜さん…。色々込み合った事情でしょうから、ここでは…」
「………だって、私…」
小夜がどれほど心配し、心細い思いをしてきたかは十分に解かっている。
しかし往来の真中で話す事ではないだろうと判断すると、ハジは二人の間に入った。
「小夜さんの…弟さんですね?初めまして、ハジと申します…」
右手でサングラスを外し、頭を下げる。
「…初めまして。…宮城リクです」
自己紹介を受けてもどこか納得のいかない表情のリクに、ハジは自分の事をどう説明すべきか躊躇っていた。
そして彼らの苗字が違う事に疑問を抱きつつも表情に、出さなかったのは流石かも知れない。
ハジの存在に少なからず驚いた様子だったけれど、察しの良い少年は物おじしない態度でハジに礼儀正しく頭を下げた。
「…あの、もしかして…小夜姉ちゃんの…彼氏…なんですか?」
「ちょっと…リク…」
なに失礼な事を言ってるのよ…と、小夜が口を挟む。
「………だと良いのですが…。まだ…恋人候補です…」
「………。面食いの小夜姉ちゃんらしいけど…。でも…、まだ…候補…なんですか?」
ふざけた風もなくそんな風に好奇の目を向ける少年に、ハジは当たり障りなく『ええ…』と微笑んだ。
「やだもうっ!!こんな所で勝手にそんな事話さないで…二人とも…」
例の如く、小夜が耳まで赤く染めていた。
「場所を移しましょう…」
久しぶりの再会を果たした姉弟に、ハジの提案はすんなりと受け入れられた。
 
□□□
 
外の熱気が嘘の様に冷房の利いたファミリーレストランの店内は賑わっていた。
少し早目の昼食を取る家族連れの姿に、今日が土曜日であったことを思い出す。
小夜は少しだけ迷ってカニのクリームスパゲティーを、リクはハンバーグドリアを注文した。
ハジもまた少しだけ悩んで、結局はアイスコーヒーだけを頼む。
アルバイトと思しき女性店員がオーダーを確認してテーブルを離れると、ハジの傍らで二人は気まずそうに冷たいグラスに手を伸ばした。
同時に一口水を含む。
先に口を開いたのは弟のリクだった
「…小夜姉ちゃん、…内緒にしててごめんね。でも…小夜は心配性だから連絡するなって…お父さんが…」
「…だからって…酷いよ…」
「お店を辞めた後、謝花さんが声を掛けてくれて…。お父さん謝花さんの紹介して貰ったお店で、住み込みで働く事になったんだ。それで、僕は一緒に行けないから…」
「…謝花さん?」
「…そう。…お父さん、…OMOROを手放してから凄く一生懸命働いていたんだよ…。よそのお店手伝ったり…。バイト掛け持ちしたりして…それで…疲れてたみたい…。居眠り運転だったんだけど…、帰り道にガードレールにぶつかって…」
「あの…。すみません…」
一息に話しだそうとするリクを、ハジは止めた。小夜とリクとが、不思議そうにハジを見る。
当たり前のようにここに居るけれど、自分は部外者なのだとハジは主張する。
「……私は、ここに同席しても…?」
よろしいのですか?と。
他人がいたので話し難い事もあるのではないかと言うハジの気遣いに小夜は微笑んで、『ここに居て…』と告げた。リクもそれに異論はない様子だ。
ハジは二人に『ありがとうございます…』と目礼した。
リクは運ばれたハンバーグドリアに箸もつけず、再び話し始めた。
OMOROを手放し幾つかのバイト先を掛け持ちして働いていた父が、帰宅途中に交通事故を起こした事。
命には別条ないものの全身に全治二カ月程の怪我を負い、那覇の赤十字病院に入院中である事。自分は今友人宅に身を寄せていて、中学校へは変わらず通っている事。
時折、どうしても気になってOMOROの様子を見に行っていた事。
 
「だからって。…私が心配性だから知らせるな…って、そんなの酷い…」
一通り聞き終えた小夜が、目に涙を浮かべ憤慨する。
ハジは隣でその様子を見ながら、彼女の父が折角大学生として新たな生活を始めた小夜に心配をかけたくないと思った事に納得していた。
「だから、ごめんねって。小夜姉ちゃん…。だけど連絡しようにも…事故の時にお父さんの携帯が壊れて…」
どうやら彼自身には携帯が与えられてないらしい。
「だって、電話番号くらい…」
解かるでしょう?という小夜の意見は真っ当なものだ。
「引っ越しの荷物、まだ全部解いてないし…。こんな事になった矢先に、交通事故じゃ…」
小夜姉ちゃんが心配すると思って…と、年少なりの気遣いを見せる。
「連絡がつかない方が心配するじゃない!私が今までどんな気持ちで…」
「小夜さん…」
くすんと小夜の鼻が鳴る。
ハジはハンカチを取り出すと小夜に差し出した。
こうして涙ぐむ小夜にハンカチを渡すのは二度目だと、ハジは初めて出会った時の事を思い出していた。
「…口を挟む様で、申し訳ありません。きちんと私にも解かる様に話して頂けますか?…店舗とご実家の家屋は差し押さえられたという事ですが、リク君は…お友達の家から学校に通っている…。それで…謝花さんというのは?」
話がさっきから少しも先に進んではいない。
リクに代わり小夜が説明を引き受けた。
「本当は謝花組って言うの。地元では有名なお金持ちで…建設業とか不動産とか…あと飲食店なんかも沢山持ってて…。そこのお嬢さんがカイの…兄の同級生で…仲が良かったんです…」
「謝花さんがOMOROは観光ガイドに載ってもおかしくない位の繁盛店だったから、このまま潰すのは勿体ないって…援助を申し出てくれて、最初は断ったんだけど…」
「結局はお世話になることにしたのですね…?」
「謝花さんがそっくりそのままOMOROを買い戻してくれる段取りになってて、そうしたらお父さんはこれまで通りに、OMOROを続ける事が出来るんだ。ただ…」
「オーナーは謝花さんという事になりますね?」
「そう…。それでも、あのお店はとても大切な場所だから…」
リクはそうハジに答えると、一息にグラスの水を飲んでちらりと姉に視線を向けた。
「本当に連絡しなくてごめんね…」
「ううん、私も…ごめん。リク…」
ごにょごにょと、小さな声で『頼りない姉で…』と小夜が付け足した。
「だからお店も家も、そのままにしてあるんだよ。またすぐに戻れる様に…」
「…でも、電話繋がらなかったよ…」
「だって、今あそこには誰も居ないんだから…。仕方ないよ…」
そっか…と呟いてうなだれる小夜に、ハジは優しい眼差しを向ける。
どうなる事かと思ったけれど、こうして労なく弟にも会え、ハジが心配していた様な荒っぽい事にはならずに済みそうだ。少なくとも、家族の安否が確認され、店の事情も電話が繋がらなかった理由も明らかになったのだから、これで一つは彼女の不安の種は消えた筈だった。
「お父さんは、那覇の赤十字病院ですね?」
「………そうです」
「では、これを食べ終わったら…那覇に戻りましょう。…リクくんは…」
「一緒に言っても良い?小夜姉ちゃん…」
「勿論だよ、リク…」
漸く、小夜がフォークに手を伸ばす。
すっかり冷めてしまったパスタは、それでも小夜には十分に美味しかった。
 
□□□
 
沖縄赤十字病院というのが、その病院の正式な名称だった。
国場川のほとりに建つ大きな総合病院だ。那覇空港からも程近い。
昨日もこの近くをタクシーでホテルに向かったのだ。ハジは一人、病院の中庭のベンチで缶コーヒーを手に時間を潰していた。
父親と娘の再会に自分が顔を出しては話をややこしくしてしまう。
流石に、好きな女性の父親に向かって、初対面でいきなり『恋人候補です』だの『お嬢さんを嫁に下さい』とは言えない。いや、言ったって構わないだけの覚悟は不思議と出来ているのだが、非常識な相手だと思われるのは避けたい。
今、小夜はリクと共に父親の病室にいる。これまでの事を思えば、ハジは待つ事に対して少しも苦痛を感じなかった。小夜がこれまでの数週間をどれだけ不安な気持ちで過ごしてきたのかは十分に解かっている。
もしも小夜が今夜は家族とともに過ごすというのならば、後は速やかにホテルを一部屋キャンセルするだけだ。半分ほどに減った缶コーヒーを、ハジは一息に飲み干すと、ポケットから携帯電話を取り出す。
一応ここが病院の敷地内である事を憚り、確認してから切っていた電源をオンにする。
何件かの留守番電話と、メールが入っていた。
それを確認すると、ハジはおもむろにメモリーから一件の電話番号を選ぶと発信ボタンを押した。何回かの着信音の後、相手の返事を待ってハジは名乗る。
「…ハジです。…ご無沙汰して申し訳ありません。…少し、調べて頂きたい事がありまして…」
それは小夜と話す時よりも、やや低い落付いた声音だった。
「…………。ええ、そうです。…お手数をお掛けしますが、よろしくお願いします…」
電話を切り、横を向くとそこに小夜が立っていた。
ハジは慌てる風もなく、携帯電話を二つに折りたたむと再びポケットに仕舞う。
「…話は済みましたか?」
「…ん」
一旦立ち上がり、隣に座るようサヤを招く。
このベンチだけが日陰になっていて、風が吹けばそれなりに涼しかった。
「お父さんに…会えましたか?」
「うん…。でも、あの…ごめんね」
「貴女がどうして私に謝るのですか?」
小夜は、うん…と小さく頷いた。
そうしてちょこんとハジの隣に腰を下ろし、尚もじっとハジの様子を伺っている。
「……私、言えなかったの。……お父さんに、アパートの火事の事…だからハジさんの事も…」言えなかったの…と、申し訳なさそうに俯く。
「ええ、今は却って心配を掛けてしまいますから、言わないで正解でしょう。…それから、今夜はどうしますか?リク君と過ごしますか?」
ハジの問いにも、小夜は力なく首を振るばかりだ。
「…リクくんがお友達の家にお世話になっているから、と言うのでしたら、同じホテルにツインを取り直しても構いませんよ」
「そうじゃないの…」
「………元気が、ありませんね?そんなに酷い怪我だったのですか?」
それにもまた、小夜は首を振る。
やっと家族と再会出来たというのに…先程までと打って変わって、小夜の表情は浮かないままだ。「…お父さん、もう少ししたら退院できるみたい。まだ無理は出来ないけど、命に別条もないし…後遺症もないからって…」
「それは、良かったですね…」
ハジの言葉に小夜はもう一度、こくんと頷いた。
「…あのね、今まで家の事あまりハジさんに話してなかったでしょう?……沖縄で生まれて、家族はお父さんとお兄ちゃんと弟と…。お店をやってて…。それ位…」
ハジは小夜の言いたい事が解からず、ただ頷いた。別に気にしてはいない。敢えて必要な事以外聞こうともしなかった。知りたくなかった訳ではなく、聞き出すのではなく、彼女の周りが落ち着いて小夜が話す気になってくれれば、その時まで待てばいいと思っていた。
小夜はもじもじと俯いて、やがて初夏の日差しに眩しそうに目を細めてハジを見た。
「私だけ苗字違うでしょ?私…私だけ…養女なの。ううん、養女として正式な養子縁組もしていなくて…」
「…………」
ハジは視線だけで頷くと、小夜に先を促した。
「私の本当のお母さんは、お父さんの奥さんの妹なの。…だから本当はカイとリクは、兄弟じゃなくて…従兄弟なの…。私の本当の両親はもう亡くなっていて…、それでお父さんに引き取られたんだけど。凄く小さい時の話だから…本当のお父さんとお母さんの顔も覚えてない…。私には、血は繋がってなくても…今のお父さんが本当のお父さんだと思ってるし、カイやリクとも分け隔てなく育てて貰った…」
「ええ…」
ハジはそう相槌を打ちながら、小夜が今までに人知れず感じていた一抹の寂しさの様なものを感じ取っていた。境遇は違えども、自分もまた同じような寂しさを感じた事がある。小夜の愛らしい素直な性格と明るさは、今までにそんな境遇を感じさせた事などなかったけれど…。
「…でも、思うの。やっぱりお父さん、私が実の娘じゃないから…私に気を遣ってるのかな…。心配させたくないって…でも、中学生のリクだって…。リクだって辛いのに、お父さんの世話もしながら頑張ってるのに……私は、事故の事を…知らせても貰えないの…。さっきもお父さん、お前は心配しなくても良いから早く大学に戻りなさいって…」
気丈に耐える小夜の瞳が潤み出す。
涙脆いのは、その性格の優しさからだろうか…。
そんな彼女が、例え血が繋がっていないとはいえ、家族の中で大切に育てられてきた事は確かめなくても解かる。
そしてそんな風に思ってしまう小夜の気持ちも…。
「そんな事はありませんよ…」
ハジは咄嗟にそう答えていた。
「…………ハジさん?」
「…私には、まだ子供がいないので…断言は出来ませんが、父親にとって息子と娘では随分違うのではありませんか?…逆に、お父さんは貴女の事が可愛いのですよ」
ハジの言葉にも、小夜は黙ったままだ。
「……………」
「……お兄さんと…リクくんには申し訳ありませんが…。素直にそう思う事です…」
「……それで良いの?」
縋るような目をして小夜がハジに詰め寄る。
ハジは静かに微笑んで頷いた。
「しかし今この状態では、退院は出来てもなかなか仕事復帰までは難しいのではありませんか?」「…うん。立ち仕事だから…しばらくは…」
「それまでの生活費や入院費…それに貴女の後期分の学費も。何か、あてはあるのでしょうか?」実際問題としてそれは具体的に考えておかねばならない事だ、それも早急に。
家族が無事である事は何よりだが、それでも今後の生活がある。
謝花さんとやらが至急にOMOROを買い戻してくれれば一旦住む場所には困らないが、働き始めたとしても実際に現金が手元に入るまではひと月近くは掛かるだろう。
自分がどこまで首を突っ込んで良いものか…本来なら自分が口を挟む立場にない事は重々承知の上で、ハジは小夜に問う。
「……お父さん、保険に入ってたから…。入院費用は問題ないみたい…、生活費は…しばらくは貯金を切り崩すしかないのかな…。貯金がどれくらい残ってるのか…不安だけど。お父さん…笑って『今…生きてられるだけで充分だ。なんくるないさ〜』って」
聞き慣れない言葉に、ハジは思わず問い返す。
「なんくるないさ〜?」
「…あのね、沖縄の方言で『なんとかなるさ〜』っていう様な意味…」
「なるほど…。良い言葉ですね…」
ハジは心からそう思い、小夜に微笑んだ。
少し潤んだ瞳で、小夜がハジの答える様に笑った。
まるで、沖縄の澄んだ空気に揺れる花の様な可憐さで…。
「…私、向こうに帰ったら…本当にちゃんとアルバイトを探して働くから。…学校もちゃんと続けられる様に…真面目に勉強もするから…」
真っ直ぐな瞳で、小夜が告げる。それはどこか誓いにも似た重たい響きだ。
「ええ…」
「…だから、あの…。あのね…ハジさん」
「……何でしょう?」
姿勢を正す様に改めて向き合うと、どこかお互いに照れを含んだ様に頬が染まる。
それは決して、厳しい初夏の日差しのせいだけではない。
「…ハジさん、私…ちゃんと頑張るから、まだハジさんの部屋に置いて欲しいの…」
勿論家族の所在が解かったからと言って、サヤを放り出すつもりなどハジには更々ない。
どう言えば、彼女に解かって貰えるのだろうと、ほんの少し相手の手強さに苦笑が漏れる。
しかしそんな健気な小夜が好きなのだと、ハジはほっと吐息を吐いた。
「…勿論です。…何度も言っているではありませんか?私が貴女に傍に居て欲しいのだと…」
ハジは、そう告げて優しく小夜の華奢な手を握った。
 
                             ≪続≫

20090702
はあ〜。長い…長かった。そしてまだ続く…って(呆)
一体この話はどこに向かっているのか…?誰も突っ込まないでやって下さいまし。
なんだかとてもご都合主義的に、セリフばっかで、説明ばっかの様な気もしますが、
所詮この先でハジと小夜たんのラブが書きたいだけの私なので…(ダメじゃん?)許して下さい。
甘い設定…。
沖縄編(?)まだ続きます。
次はもう少し甘い(設定がではなく、二人がですよ〜笑)展開になる予定ですので、今から自分も書くのが楽しみ。
暴走しそうな予感がかなり濃厚に漂ってますので、もし暴走しちゃったら笑って許して下さい。
では、また後編3でお会いしましょう…なんてね。