君は可愛い僕の仔うさぎ・3

 
掌の中で、柔らかで暖かな毛玉がもぞもぞと動いた。
確かに、生きている。
愛らしい白く長い耳…。
自分を見上げる純粋な赤い瞳。
掌に伝わる命のぬくもり…。
生きている。
掌にずしりと感じる尊い命の重み…。
 
それでも、自分は生きている。
生きていかなければ…
何が、あったとしても…
例え、この世に一人きりになってしまったのだとしても…。
 
 
□□□
 
 
「ハジ…さん、…ハジさん…」
遠慮がちにそっと肩を揺さぶる華奢な指、優しい力で揺り起こされてハジは目覚めた。覗き込むようにして、心配そうな表情の少女が自分を見つめていた。
どうして、あんな夢を見たのだろう…。
もうずっと長い間、忘れていたような些細な出来事。
しかし、ベッドの脇に跪く様にして自分を覗き込んでいる小夜の泣き腫らした赤い瞳を見て、ハジはどこか納得もする。
…彼女のせいだろうか…
「………すみません。…本当に寝過ごすところでした…」
「勝手に…部屋に入ってすみません。あの…三十分、経ちました…けど…」
「いえ…ありがとうございます」
重い頭を軽く左右に振って、体を起こす。大きく寛げたワイシャツの隙間に覗く男の首筋、浮き出た鎖骨と滑らかな白い皮膚に覆われた筋肉の束に、小夜は不自然に視線を逸らした。しかしハジは彼女が何を気にしているのかは気付かないまま、もう一度丁寧に小夜に礼を述べると、枕元の時計を確かめた。
「…すみません、すぐにシャワーを浴びて着替えます」
「……はい。いえ…。あ、あの…私、リビングに行ってます」
頬を真っ赤に染めて、小夜はパタパタと軽い足音を立てて足早に寝室を出て行った。
少女の纏う柔らかな空気の余韻、優しい指先がそっと触れた肩の感覚…。
小夜の出て行ったドアから、ハジはしばらく目を離す事が出来なかった。
冷静を装って、小夜は後ろ手にドアを閉めた。
ただでさえ、彼は美しい男性だと思う。
そんな人の寝起きを…しかも彼は無意識なのだろうが、大きく開いたワイシャツの隙間から覗く素肌は、今の小夜にはあまりにも衝撃的なものだった。滑らかな白い皮膚に覆われた引き締まった筋肉は…小夜には初めて見るものであったし、枕に散った黒髪から漂う仄かな香りはあまりにも生々しく刺激的過ぎた。自覚の無い様子で、ベッドを下りようとすらする男から逃げるように部屋を出たけれど、こうしていても…思い出すだけで、頬が赤くなる。
小夜の中で、言葉にはならない甘い感情がふわりと揺れていた。
『すみませんが、三十分だけ仮眠させて下さい…』
ハジがそう言ったのは、コンビニ弁当の空き容器を片付けている時だった。
自分のせいで社の仮眠室で夜を明かす事になったハジに対して小夜が首を横に振る筈はないと言うのに、心底申し訳なさそうにそう言う彼に愛しさが込み上げてきた。
ハジは優しい。
自分に対して、どうして、ここまでしてくれるのだろうと思う。知り合ってまだ24時間も経たないと言うのに、まだ彼の事を何も知らないと言うのに、こんな風に優しくされたら…、頼るところのない心はすぐに彼に傾いてしまう。
シャワーを浴びたら、三十分だけソファーで眠ると言うハジに、きちんとベッドで体を横にして眠らなければ体が休まりませんと力説したのは、小夜の方だ。
最初、ベッドに入ったら30分では目が覚めないと言っていたハジも小夜の言い分に納得したのか、『……すみませんが、三十分経って起きてくる気配がなければ起こして下さい』と言い残し、自室に籠った。
そして予想通り、隣室から三十分を告げるアラームが聞こえてきても、彼は起きてはこなかったのだ。
頼まれたとおり、仕方なく小夜はハジの寝室のドアをそっと開けた。
勿論ノックもしたし、部屋の外から声も掛けたのだけれど返事はなかった。
薄暗く締め切ったカーテン、きちんと片付いた室内にはベッドと書斎机、それに背の高い本棚。小夜がドアを開けても目を覚ます気配のないハジの傍らに寄ると、小夜はそっと名前を呼んだ。
「ハジさん…」
しかし起きる気配のない男に、小夜は意を決したように指先を伸ばした。
規則正しい静かな寝息が、彼の熟睡を物語っていた。
思わず堪え切れなかったのだとは言え…ついさっきまでこの胸に縋って泣いていたのだと思うと、必要以上に意識してしまう。
…私、あなたの事…何も知らないのに…。
早く起きて…と祈りながら、小夜は肩先に触れた指にそっと力を加えた。


□□□


予想通り、焼け跡には何も残っていなかった。
燃え残った僅かな私物も使える状態ではない。大量の水に濡れ、煤と灰と泥にまみれていた。解かっていた事とは言え、つい一昨日まで自分が暮らしていた建物がこうも無残に瓦礫の山と化した姿をまじまじと目にするのは、小夜にとっては衝撃だった。
ほんのひと月前、大学の入学式には父も上京して祝ってくれた。
ここで新しい平和な学生生活が始まる筈だった。
管理人のおばさんも、隣室の住人も皆親切だった。
取り留めも無くそんな些細な思い出が小夜の脳裏に次々と蘇る。
ハジは小夜の前に立って折角着替えたスーツが汚れるのも構わず、小夜の部屋があった辺りで何を…とも無く探している。しかし、出てくるのは皆燃えたカスばかりで、それもまた小夜の涙を誘うのだ。
「も…良いです。本当に…大した荷物はまだ揃ってなかったし…。ありがとうございます…」
小夜は尚も辺りを探すハジを制した。
「泣かないで…」
ハジは、そんな小夜にそっとポケットから取り出したハンカチを渡した。
その心遣いが嬉しくて、それがまた涙になるのだという事をハジは知らないのだ。
「…鼻もかんで構いませんよ」
「は、鼻なんて…出てません」
そう反論しながらも小夜は男性用の大きなハンカチを握り締めて強く瞼に押し当てた。むきになる小夜の様子に目を細め、ハジは辺りに視線を巡らせた。
「出火の原因は、管理人室の辺りからの漏電と言う事らしいですね。…賃貸契約やこの建物自体の火災保険がどうなっていたのかは知りませんが、何がしか保証はされるのではないですか?もし折り合いが付かなければ、民事裁判と言う事になるのかも知れませんが…その辺りは私も詳しくはないので…」
「…さ、裁判…ですか?」
「…他の住人の方はどうするのか解かりませんが。裁判自体は小夜さんがそれを望まないのならば、無理に起こす必要はありませんよ。満足な保障が受けられるかは、解かりませんが…」
「………………」
黙り込む小夜に、ハジは少し申し訳なさそうに瞳を細めた。
「すみません。今、そんな話をするべきではありませんでしたね…」
「ハ…ハジさんが、謝る事じゃないです…。私、世間知らずで…何も解からなくて…」「…仕方ありませんよ」
ハジはそう言って、小夜を招いた。差し出された手に、小夜が反応出来ずにいると、ハジは小さく『手を…』と言い有無を言わさず小夜の手を取った。
「この辺りは、足元が危険です…。気をつけないと、転びますよ」
「…ハジさん」
止めて…とも、大丈夫です…とも言えないまま、たった数メートルの短い距離を、小夜はハジに手を取られて歩いた。力強い掌がすっぽりと小夜のそれを包み、安全な場所へと導いてくれる。
こんな状況であるにも拘わらず、小夜の胸で何かがふわりと揺れる。
「大した収穫はありませんでしたが、…行きましょうか…」
側道に停めていた車に戻ると、ハジは助手席側のドアを開けて小夜を先に車に乗せ、自分も運転席に座ると小夜にそう告げた。
行きましょうか…と言われても小夜には見当もつかず、帰るにもあそこはハジのマンションであり自分にとってはもう戻るべき場所ではない。
「…あの、どこへ…?」
「どこが良いでしょうね…。取り敢えず生活に必要な物を買い揃えなければならないでしょう?」
「…あ、えと…。それはそうなんですけど…」
「女性の買い物はよく解からないので…。衣料品と、日用品?…渋谷あたりに行けば全て揃うのでしょうか?」
小夜の返事を待たず、ハジは車を発進した。
「私…どこも詳しくなくて……」
「私もです。とにかく、どこか行ってみましょう。郊外へ行く様な時間はないので…」どこか楽しげにさえ見える様子で、ハジは時計を確かめる。
「…あの、…あの。…でも私、そんなにお金持ってないし…。どうして、そんなに親切にしてくれるんですか?」
ハンドルを握って前を向いたまま、ハジはしばらく考え込んだ様子だった。
「貴女が昔飼っていたうさぎに似ているという理由では納得されませんか?やはり…」「当たり前です…そんな理由…」
小夜は所在無げに膝の上で両手を揃え、流れて行く景色と共にちらりと男の横顔を盗み見た。
横から見ると一段と際立つ通った鼻筋、形の良い耳。
見られている気配に気付いてか、僅かに視線を投げる…その柔らかな色に戸惑って小夜は俯いた。
「…自分でも、貴女に対してどうすれば良いのか…解からないのです。…ただ困っている貴女を、このまま放っておけないというのが、今の素直な気持ちです。…かえって貴女には、迷惑なことかも知れませんね…」
「………そんな事…」
「…気味が悪いですか?」
「……そう言う事じゃなくて…。うまく言えないけど…昨日初めて会ったのに、私の為に…こんなに時間を無駄にして…」
「無駄では、ありませんよ…」
ハジはそう言ったきり黙り込み、小夜もまた話題を見付けられないまま車内は静まり返った。


□□□


ショーウィンドウには明るい色合いの洋服がディスプレイされていた。
夏を先取りした軽やかなデザインのワンピースやスカート、透明感のあるアクセサリーやサンダル、バッグなどがコーディネートされている。
磨かれたガラスの前で、小夜はそれらにうっとりと眼を奪われながらも、店内に踏み込む勇気が持てなかった。
一歩後ろで見守っていたハジが、そっと耳打ちする。
「…隣のお店の方が良いですか?」
「ううん、違うの…。あの…すごく可愛くて、素敵なんだけど…私、こんな高いお店」入った事ないから…と。
「…そうですか?…よく似合うと思いますよ…」
「だから、そう言う事じゃなくて…」
本当は、こんな風に買い物を楽しんでいる状況ではないのだけれど…。
少しでも自分の気が晴れるようにと、こんな場所に連れて来てくれたのだと、小夜はうっすらと気付いていた。
ショーウィンドウの前で、やり取りする二人の姿が目に付いたのか、若い女性店員が近寄ってきて小夜に試着を勧めた。
尻込みする小夜にハジは微笑んだ。
「折角ですから、…着てみたら如何ですか?」
慣れない様子ながらもハジは小夜を店員の前に立たせ、試着を願い出る。
ついでに、事情があって三日ないし四日分程度の衣類を揃えたいのだと…。店員は嬉々として、奥からショーウィンドウに飾られたのと同じタイプのワンピースを持ち出して小夜を試着室に招いた。
ハンガーから外したワンピースを手渡し、戸惑う小夜を広めの試着室に押し込める。
閉ざされたカーテンの向こうで、何やら店員がハジに話しかけているのが聞こえた。
『可愛い彼女さんですね…』と言っているのだろうか…。『ちょっと待って…』と言いたかったけれど、シャツのボタンに指を掛けたままカーテンを開けるタイミングを失い…小夜は仕方なく黙って渡されたワンピースに袖を通した。いつもTシャツやジーンズ、どこかボーイッシュな服装ばかり好んで着ていた小夜にとって、鏡の中に居る自分は見慣れないばかりか、とても恥ずかしい。
甘過ぎない濃紺の色合い。夏用の生地は肌触りもよく気心地に申し分はない。
カジュアル過ぎない体の線に沿ったシルエット、肌の露出も過度ではなく、襟元にさり気なく施された同色のレースと花のコサージュが大人の可愛らしさを添えている。全身をチェックするようにぐるりとその場で一回転すると、自分の置かれた状況も忘れてどこか華やいだ気分になるから、女の子と言うのは不思議な生き物だと小夜は自分自身に呆れていた。
カーテンの向こうから、「如何ですか?」と店員の声がする。
小夜は恐る恐るカーテンの隙間から顔を覗かせた。
「良くお似合いですよ!」
とお決まりのセリフで店員が小夜を迎える。
しかし、小夜はその向こうで腕を組むハジの視線が気になってそれどころではなかった。店のサンダルを借りて試着室の外に出ると、店員は尚更誇らしげに「どうですか?彼女色が白いから〜」等と取って付けた様な言葉で褒めちぎると、小夜をハジの前に立たせた。
「…………。…良く、似合います」
少しの間を置いて、ハジが言う。
その一瞬の間が小夜には酷く長く感じられた。
「…そう…ですか…?」
こほんと小さく咳払いして、ハジは照れたように後ろを向いてしまった。


□□□


『自分は解からないので、彼女の好みを踏まえた上でなるべく着回しが利く様にして下さい…』と言うハジの意見に、店員はますますテンションを上げて…結局ファッションショーは一時間近くに及んだ。
「困ります…」
姿勢を正して、小夜は目の前の男に意見した。
小夜が、『こんなに購入するだけの持ち合わせがない』と言っているにも拘らず、ハジは店員の言うままにそのほとんどの洋服をレジへ運ばせ、小夜が着替えている間に全ての支払いを済ませてしまったのだ。
そうして、今小夜が身に着けているのは最初に袖を通した濃紺のワンピースだった。
それに合わせて、華奢なサンダルも…。
「…すみません。貴女がそう言うだろうとは思いまいたが…どれも選べないほど、よく似合っていましたから…。つい…」
「…ついって…。金銭感覚がおかしいですよ。…全部で幾らしたと思ってるんですか?…それにこんなに可愛いワンピースを今着る必要ないでしょう?……」
「しかし、昨日から同じ服を着続けていては気持ち悪いでしょう?それに…本当に良く似合います」
「それに、って…」
瞬時に小夜の頬が染まる。
「…そっ」
そんな事を真顔で言わないで…
と言い掛けたところで、小夜の前に真赤なイチゴの乗ったパフェが運ばれてくる。
そして、ハジの前には大きな透明の氷が浮かんだアイスコーヒーが並ぶと、小夜は一瞬口籠り、つい勢いをそがれてしまう。
「私、あなたにそこまでして貰う義理が無いです…。洋服代…私ちゃんと働いて返します」
「………このパフェ代も?」
「もう!ふざけないで…。ここは全部私が払います!それにお昼のお弁当代も!!」
どんっ…と大きく拳でテーブルを叩くと、静かな喫茶室の店内で一斉に周りの視線が小夜に集中する。
小夜は真っ赤に頬を染めて、身を縮めた。
ハジが『ではお言葉に甘えて…』と小さく笑う。
その静かな笑顔が、いつしか小夜にとってはとても愛しいものになっている。
流されては駄目と思うのに、こうして同じ時間を過ごす事にいつしか安心さえ感じていた。勿論、こんな風に世話になってばかりで良い筈がない。
彼が一式揃えてくれた両手いっぱいの洋服も、本当は黙って受け取って良い筈がない。

解かっている。
ただの通りすがりの相手なのだから、これ以上迷惑をかけてはいけない。今度はちゃんとしたバイト先を見付けて、真面目に働いて使った分を彼に返さなければ…。
小夜の心の内を呼んだ様に、ハジが真面目な表情で付け加えた。
「…小夜さん、本当に洋服代は気になさらないで下さい。貴女が気に入ってくれたなら私はそれほど高価な買い物とは思いません。もしそれでも気になるという事でしたら、返すのはずっと先でも構いません」
「だって、ハジさん…。さっきも私訊いたでしょう?どうして、私にこんなにしてくれるんですか?」
助けて貰って、一晩泊めて貰った上に、小夜にこんなに服を買って貰って許される理由などある筈がない。
しかも彼は自分のせいで半日仕事を休んでまでいるのだ。
「私も…さっきも、お答えしたでしょう?」
「そんなの解かりません…。私が、困ってて可哀そうだから…ですか?」
「違いますよ…」
「…だったら」
「今、ここで、その明確な理由が必要ですか?」
一瞬だけ、ハジの瞳が真剣なものに変わった。その空気に言葉を詰まらせる。
誤魔化す様に唇を尖らせて、小夜は長い柄のスプーンで生クリームを掬った。
唇に運びながら、二口目を掬おうとして勢い小夜の指からスプーンが滑り落ちた。
かちゃんと高い音を立てて床に落ちたスプーンを拾おうと慌てて小夜が身を屈めると、飛んで来た店員が新しいスプーンと交換してくれた。
しかし二人の間には不自然な沈黙が訪れる。
息苦しいような、しかし不思議と不愉快ではない、いつまでもこうして居たいような…どこか甘い空気に包まれる。
その曖昧な何かの答えを知りたいような、知りたくないような…揺れる気持ち…。
沈黙を破る様にハジが不意に言った。
「自分でも、解からなくて…困っているのです」
「…困る?…やっぱり、私が…困らせてるんですよね?」
「そう言う事ではありません。………」
じっと小夜が見詰めると、そっとハジが視線を逸らす。ハジが顔を上げれば、またその逆で小夜が下を向く。
「…とにかく、残りの買い物も早く済ませましょう…」
空になったハジのグラスで、からんと氷が鳴った。
…今夜も彼の部屋に泊まる事になるのだろうか。
きっと彼は当然の様にそう言うのだろう…。

そして、また彼は会社の仮眠室に泊まるというの?
それとも…?
あの部屋に帰って来てくれる?
もし彼が本当はとても悪い人で、小夜に対して良からぬ事を考えているのだとしても?
それでも?
それでも…彼なら、構わない?

小夜の内に生じた甘い漣は、彼女の心に複雑な波紋を広げる。
初対面の相手に、こんなに甘えて良い筈がない。
それでも、この曖昧な関係はきっと手を引っ込めたら容易く切れてしまうようなか弱いもので…。
ずっとこうして居たいと、小夜の心は願っているのに、それを素直に認める事は出来なくて、小夜は小さく「はい」と返事を返すと、黙り込んだ。
「小夜さん…私は…」
ハジがそう言い掛けたその時、軽快なメロディーを奏でて小夜の携帯が鳴った。
小夜が慌てて相手を確認すると、それは大学の親友、香里だった。
ハジは言い掛けた言葉を切り、まるで訊いていませんよ…と示す様に、黙ったままずっと窓の外を見ている。
小夜はハジに小さく頭を下げて、受信ボタンを押した。
途端に耳元で懐かしい親友の声がする。
懐かしいと言っても、つい一昨日までは並んで講義を受けていたというのに…。
小夜のアパートが全焼した事を知り、探していたのだと言う。
何度も携帯に電話しているのに、どうして出なかったのか…と叱られた。当然の様に、今どうしているのか?と聞かれ、話すと長くなると思い居場所だけ答える。

血相を変えて香里が駆け付けたのは、それから30分後の事だった。
香里は、店内に入るなり小夜の姿を見付け大袈裟すぎる態度で小夜の無事を喜んだ。
傍らのハジの姿など目に入らぬようで、ぎゅうと強く抱き締められる。
周りの視線が突き刺さる様で、小夜はなんとか香りを宥めると隣の席を勧めた。
タイミングを計ったように、店員が水のグラスとおしぼりを運んでくる。
よほど慌てていたのか、一息に水を飲み…やっと落ち着いて、香里はハジの存在を認めた。その状況に、目を丸くする。
火事で焼け出された親友の元に駆けつけたというのに、当の本人はお洒落なワンピースを着こなして、見知らぬスーツの男性とパフェを食べているのだから…。
「…小夜?…こちらは?…誰?」
「あ、ええと…」
「ハジと申します…」
口籠る小夜を庇う様に、ハジは自ら名乗った。そうしてスーツの内ポケットから名刺を取り出し、香里に差し出した。
「あ、あのね…香里…。話すとちょっとややこしいんだけど、ハジさんに…私色々お世話になって…」
疾しいところなどない筈なのに、しどろもどろに答える小夜を尻目に、香里は見た目からは予想もつかないしっかりとした口調でハジに礼を述べる。
「私の大事な友人の小夜が大変お世話になりました。でももう大丈夫ですから…」
どこか棘を含んだ強い口調に、小夜が慌てて止めに入る。
「ちょ…ちょっと待って…。香里」
「ねえ、小夜。心配したんだよ…。昨夜はどこに居たの?うちのお父さんもお母さんも心配して、良かったら落ち着くまでうちにいらっしゃいって言ってるの…」
その目が、まさかこの男のところに泊まったの…と、問い掛けていた。
小夜が言葉を失うと、香里が追及の言葉を繋ぐより早く、ハジが口を開いた。
「小夜さん、仲の良いお友達が折角そう仰っているのですから…。その方が、…貴女も安心でしょう?」
「…待って。…待って下さい…。私…」
そう言い残して席を立つハジに、小夜は言い縋った。
「…何かと大変だとは思いますが、私が貴女の為にして差し上げられる事は…もうないでしょう?」
「……そんな事…」
ありません…と、喉まで出かかった言葉を小夜は飲み込んだ。
これ以上、彼に甘えてはいけないのだと、そんな思いが邪魔をしていた。甘えてはいけないけれど、それでも小夜はハジの傍に居たいと思っているというのに…。
昨日の夜、会ったばかりだから…。
彼の事を何一つ知らないから…。
こんな情けない私じゃ…駄目…。
ただ一言、『あなたが好き…』と言えないまま、じっと見上げる小夜の脇をハジはすり抜けた。真っ赤な目をして自分を見上げる少女に、ハジはそっと指を伸ばした。
「…泣かないで。…笑って下さい。小夜さん」
小夜の頬に、零れた涙をそっと指先で拭うと、あの愛しい静かな微笑みを残してハジは背中を向けた。
離れて行くスーツの広い背中を、小夜は追う事も出来なかった。


                               
≪続≫

20090602
恥ずかしい。なんかもう色々と恥かしすぎます…。
ベタベタです。もうお約束な展開です。
実はこういうの大好きなんです(笑)
ああ、幸せにしてあげたい。
自分としてはこんだけの文字数でラストまで書けるだろうと思ってたんだけど、結局後編の1だし。
でもあと一話で終わります。ひとまず終わります。
そして密かにシリーズ化ですか…ははは。
このお話を書く上で一番のネックは、・・・ハジが会社でどんな仕事してるのか…解かんないところかな〜。
色々調べつつ。
まだソロさんとか、書きたいし。
諸々の言い訳は後半の2をアプした時にしたいと思います。

読んで下さって、どうもありがとうございました!!