帰還


うっすらと透ける柔らかな繭の中で、少女が眠っていた。

暗闇の中でさえ光を放つような、神々しい純白の繭。

まるで胎児のように体を小さく丸めて、短かった黒髪が随分と伸びてふわりと体を覆っている。

うつむき加減な面は、楽しい夢を見ているかのように穏やかだ。

まるで幼い子供が母の腕にまどろむ様な安らかな表情をしている。

サヤのそんな表情を見詰めていると青年は飽きる事が無い。

いっそ、このままずっと彼女の傍らで、この穏やかな眠りを見守っていたいとさえ思ってしまう。

例え、その柔らかな肌に触れる事が叶わなくても・・・

互いの名前を呼び、直にその体温を確かめる事が叶わなくても・・・

このままここで、自分もまたサヤに寄り添って眠りに就けたなら・・・。

たった一人を待ち続ける、この永い時を辛いと思う事も無いのだろう。

「サヤ・・・」

青年は愛しさを隠せない優しい声音でその名前を呼んだ。

跪く様にして、手を差し伸べる。

今はまだ触れる事の叶わない、白い肌。

髪を透いてやる事も、頬を撫でてやる事も。

あれから・・・何年待った事だろう・・・。

少女が眠りに就いてから、一体どれだけの日が昇り、沈み、そして月が夜空を彩っただろう・・・。

青年の記憶の中の、少女の姿はあの頃と少しも変わらない。

遠い昔、まだこの先訪れる悲劇を・・・、二人の上に訪れる過酷な戦いの日々を知らず、

互いを想う気持ちだけが全てだった頃からサヤの容姿は少しの遜色も無く、あの激しい戦いの最中にあってさえ、

彼女の魅力は青年を惹きつけて止まなかった。

もう何年も、青年は白く透ける繭越しに、じっと目を凝らして愛しい少女の眠りを見守っていた。

ただじっと繭の傍らに佇み・・・食べる事も、飲む事も、そして眠る事すら拒否して・・・、

その姿はまるで彼自身が命を持たない化石のようだ。

そして青年も、少女とはまた異なる美しい容姿をしていた。

白い整った輪郭を縁取る黒髪はしっとりと水気を含んだような艶やかな漆黒で、

ややきつい印象を与えがちな切れ長の瞳は深い海の青さにも似て・・・穏やかな彼の内面を映しているかのようだった。

「サヤ・・・」

堪えきれずそう呼びかける青年の声、低く甘く静まり返った空気を震わせる。

ぴくん・・・

彼の目の前で、錯覚かと疑う程微かに、サヤの肩が揺れた。

じっと目を凝らすと・・・あどけなささえ残すその頬には微かに朱が差していた。

微笑んだような口元も先程より幾分赤みが増したように感じる。

ぴくん・・・

繭の中で、サヤの体が僅かに揺れて、ほんの少し顔が上がる。

青年は、信じられないように・・・ゆっくりとその両手を白い繭玉に差し出した。

「・・・・・・」

夢の名残を惜しむようにゆっくりと、サヤが薄く瞼を開く。

繭の中で、ぼんやりと彼女の瞳に色が映る。

「サヤ・・・」

まだ夢を見ているのか、その瞳はうっとりと今にも甘く融けてしまいそうだ。

青年の両腕の中で、少女はまさに目覚めようとしていた。

「サヤ・・・サヤ・・・」

幾分切迫した響きを含んで、その名前を呼ぶ。

今度は明らかに青年の声に反応して、サヤは体をくねらせると居住まいを正すように正面を向いた。

そして白い瞼がゆっくりと大きく見開かれ、その潤んだ瞳が青年の姿を映した。

赤みを増した唇がそっと開く。

たどたどしい様子で、声にならない言葉をかたどろうとする。

・・・

・・・・・・

・・・は・・・

・・・・・・・・・・・・・・・じ・・・

・・・・・・は・・・・・・じ・・・・・・

最初は中々読み取れない程微かだった唇の動きが、明らかにハジ・・・と青年を呼ぶ。

今はもう誰一人として呼ぶ事の無くなった青年の名前を・・・。

音として耳には届かなくとも、青年・・・ハジにはサヤの声が聞こえた。

自分にもまだ名前があったのだという事を、今初めて思い出したかのように・・・、

ハジは白い繭に額をつけるようにして、彼女を呼ぶ。

「サヤ・・・サヤ・・・サヤ・・・」

繭を労るようにそっと触れるハジの掌に、サヤはゆっくりと自分の掌を重ねる。

柔らかい繭の感触を通して、互いの体温に触れると、サヤはハジを真っ直ぐに見詰め嬉しそうに微笑んだ。

・・・ハジ・・・

そう呼んで、サヤもまた労るようにハジの額に額を重ね、二人の間を隔てる繭がもどかしい程、二人は体を寄せ合った。

そうする事で、互いに独りではない事を確かめ合うかのように。

やがて、どれ程の時が流れたのか・・・、

どれだけの時間をそうして過ごしたのか・・・二人の意思を受けるように、白い繭はゆるゆると力を失い、

解けるようにしてサヤの体を解放した。

触れた部分からもろく崩れ去り、次第に大きな綻びとなり・・・

生まれたままの姿で、サヤはハジの腕に抱き留められた。

白いしなやかな腕が、縋るようにハジの首筋に絡みつく。

まだ幾分ぼんやりとした瞳で、ゆったりと微笑む表情は初めて会った頃のサヤのようだ。

ハジは一瞬自分が、まだ幼い子供に戻ってしまったような錯覚を覚える。

あの日、ジョエルの館で・・・初めてサヤに会った時のような瑞々しい感動。

少年の頃、ただ彼女だけが自分の全てであったように・・・、それは今でも変わらず、

今この瞬間にもハジにとってはこの腕の中の少女が生きる全てだと知る。

「ハジ・・・」

サヤは、自分を抱き締める青年の名前を労るように呼んだ。

母親がするかのように・・・

そして、恋人がそうするかのように・・・

全ての愛情を注ぐかのように大切に、サヤはハジの頭を優しく抱き締めると、彼の髪にそっと指を絡ませた。

サヤの黒い瞳には、真っ直ぐにハジだけが映っている。

そしてハジの瞳にも・・・たった一人の恋人の姿が映っている。

言葉は無く、ただ引き寄せられるように二人の唇が触れた。

そして深く深く口付けを交わし、その存在を確かめ合うと、ハジの胸の奥はざわざわと騒いだ。

悲しくも無いのに不意に涙が零れそうになる。

「ハジ・・・ハジ・・・どうしたの?・・・ハジ・・・」

サヤの優しい言葉に・・・

強く抱き締めて、覗き込んでくるその瞳の前に・・・

ハジは漸く、気が付くのだ・・・。

永い間、自分は寂しかったのだと・・・。

あの少年の日から、ずっと。

ずっとサヤだけが、ハジの心を満たしてくれるのだと・・・。

「ハジ・・・、・・・どれくらいの時が流れたの?私は・・・どれくらい・・・」

そんなハジの表情に、サヤは不安げに問う。

「・・・少し・・・長めでしょうか・・・」

ハジの静かな答えに、サヤは・・・そう・・・と小さく頷いた。

「帰ろう・・・ハジ・・・。二人で・・・」

幸せだったあの場所へ・・・

誰も傷つけずに生きていけるあの場所へ・・・

今ここにある腕の中の確かな温もり。

それはあの少年の日と何一つ変わらない。

ハジはサヤの黒髪に顔を埋めるようにして、そっと瞳を閉じた。


20060909(書いたのは5月頃と思われる)
ええと、5月頃書いていたらしい。書いたまま放置されていました。
久しぶりに見つけて(思い出して)折角なので載せてみる事にしました。
だって最近全然更新してないし!!!
まだラストがどうなるかも、何もかもが解らない状態で書いてたので、かなりあやふやで、
好き勝手に書いてます。恥ずかしいやら笑えるやら・・・。
ただ希望としては、二人とも生き残って幸せになって欲しいな〜って言うそれだけだったような。
よくよく考えたら、ハジはサヤのシュバリエでありながら、普通にサヤの目覚めに立ち会えた事ってあるのかな?
書きながら、サヤって繭から目覚める時どんななのか解らなくて、苦労した覚えがありますが。
勝手な想像で書きました(適当に・・・)。もっと文章力が欲しいと思う瞬間です。