指を伸ばせばすぐに触れる事の叶う距離に、透けるような真珠色の肌をして、あれ程欲した少女が眠っている。

ソロモンは静かにベッドの端に腰を下ろすと、サヤの形の良い唇にそっと指先を伸ばした。

触れるか触れないか・・・ぎりぎりの位置で止まると、静かな呼吸が感じられて、

彼はどこか安堵にも似た気持ちで溜めていた息を吐き出した。

もう痛みはない筈だ。

まだ、あの痛々しい悲鳴がソロモンの耳について離れない。

長兄アンシェルに腕を捕られ・・・不気味な音と共に折られた腕は、既に遜色なく回復していて・・・

解っていた事とは言え、改めて彼女が我が主・・・ディーヴァの姉である事を実感する。

彼女には翼手の女王としての絶対的な能力がある。

しかしサヤにその自覚はないのだろう。

以前敵として対峙した時は勿論、覚醒した今となっても彼女はその能力の半分も発揮できては居ない。

今の彼女を殺す事など、アンシェルやネイサンにとっては訳も無い事の筈だ。

けれどソロモンにとっては、サヤは守るべき一人の無力な少女に過ぎない。

例え彼女の血が、唯一自分達・・・そしてディーヴァを殺す事が出来るのだと言っても、

それは彼女の血がそうなのであって、サヤ自身が意図してのものではない。

アンシェルに繰り返し聞かされてきた「サヤ像」とは余りにも違う。

ソロモンは実際の彼女に会って、サヤ自身がこの戦いを望んではいなかった事を知った。

彼女もまた哀れな運命に玩ばれているだけなのだ。

 

眠るサヤの横顔を見ていると、とめどない感情の渦がソロモンを苛んだ。

主に背いてまで・・・、彼女を欲しいと思った。

彼女を欲して止まない気持ちは、シュバリエとしての自分ではなく、ソロモン・ゴールドスミスとしての感情だと信じている。

これは恋だ。

あのベトナムの夜、何かに導かれる様にダンスを踊った・・・。

あの瞬間から・・・。

初めて出逢ったときから、恋に堕ちる事は避けられない運命だったのだと・・・。

全てを擲ったのだとしても、今、こうして彼女の傍らに居られる事に幸福を感じずには居られない。

この感情を最早誰も止める事などで気はしないだろう。

これは・・・恋だ。

眠るサヤの瞼にはうっすらと涙が滲んでいた。

どんな夢を見ているのか・・・。

ソロモンにそれを確かめる術はなく、ただこの涙を拭ってやれるのが自分ならば良い・・・と願う。

けれど心の奥底で、ソロモンは気付いている。

サヤの求める世界に自分の居場所が存在しないのだという事を・・・。

初めはただ、この愚かな殺し合いの螺旋を断ち切りたかった。

双子の姉妹が殺し合う等、あれほど嫌った人間達の愚行となんら変わりの無いではないかと・・・。

しかし、いつしか自分は惹かれていたのだ。

愛する主であり自分の全てでもあるディーヴァに背いてまでも、サヤの傍に居たいと・・・。

 

大きな黒い瞳を縁取る長い睫が涙に濡れている。

今は閉じられたこの瞳が、紅玉色に見開かれた一瞬の気高さをソロモンは思い浮かべた。

サヤは決して信念を曲げない。

圧倒的な力の前にも、決して屈する事は無い。

サヤは自らの血の最後の一滴まで、翼手を、ディーヴァを倒す事に捧げるのだろう。

しかし、そんな痛々しい姿をソロモンは黙ってみている事が出来なかった。

ディーヴァに背き、兄弟達を裏切ったとしても、今までの様には居られなかった。

それでも、立場は中立だと思っている。二人共殺したくは無いのだ。

行動を起こしてしまった自分を後悔などしては居ないけれど。

今は安らかに眠るサヤが目覚めた時、彼女は果たして自分を許し受け入れてくれるのだろうか・・・。

この熱く滾る様な、一人の愚かな男の感情を・・・。

 

ソロモンはサヤを覗き込むように身を屈めると、長い指先でその頬に触れた。

柔らかな少女の感触に、抑えていた劣情が目覚めようとする。

「いっそ、このまま体を繋いでしまいましょうか・・・サヤ」

台詞とは裏腹な穏やかな口調で、ソロモンは苦しい胸のうちを呟いた。

滑らせるように優しく睫に触れると、サヤの体はピクンと反応した。

僅かに首を逸らす様な艶かしい女の仕種で、唇を震わせる。

・・・・・・・・・ハ・・・ジ・・・

ソロモンの前で、サヤの唇は微かに男の名前を模っていた。

・・・・・・・・・ハジ

想像しなかった訳ではない。

あの、漆黒のシュバリエ。

常にサヤの影の様に寄り添う彼女のたった一人の盾。

永い時を彼女と共に、寄り添って生きてきた男。

やがてサヤを追ってやって来るであろう、サヤのシュバリエ・・・ハジ。

あの男の、サヤを見詰める瞳に宿る感情に気付かない馬鹿は居ないだろう。

「・・・ハ・・・ジ・・・」

小さな、しかし先程よりははっきりとした発音で、サヤは自らのシュバリエを呼んだ。

微かに綻んだかのような口元に、ソロモンは全てを悟った。

「・・・・・・サヤ、あなたの全ては、あの男のものなのですか?」

透けるような真珠色の肌に、鮮やかな花の色にも似た赤い唇に、あの男は触れたのだろう。

そして彼女の心まで奪ったと言うのか・・・。

あの男の指が、サヤの肌に触れ、

抱き寄せて、彼女の耳に愛を囁いたと言うのか・・・。

そして、サヤはその口付けを受け入れたと・・・・・・・・・・・・・

 

予想以上にリアルな情景がソロモンの脳裏に浮かんでは消えた。

胸の奥でキリキリと何かが傷む。

この暗い胸の内に燻る様に燃える焔を、嫉妬と呼ぶのか・・・

 

サヤに触れかけた指をそっと引いて、ソロモンは何事も無かったかのようにサヤの枕元を離れた。

高層の窓辺に寄ると、ガラスに映る自らの姿にきつく眉根を寄せる。

「・・・直に、ここにやって来るのでしょうね・・・。彼は・・・」

彼の主であるサヤを、そして恋人でもある愛しい少女を取り戻す為に・・・。

それでも・・・元から引き返すつもりなどない。

サヤを花嫁に出来るのはあの男ではない・・・。

引き返すことの出来る感情ならば、最初から行動を起こしたりはしない。

勝ち目の無い勝負などしない。

これは恋だ。

引く恋など自分は知らない。

あのベトナムの夜、何かに導かれる様にダンスを踊った・・・。

あの瞬間から・・・。

初めて出逢ったときから、恋に堕ちる事は避けられない運命だったのだと・・・。

 

しかし、全てはサヤが決めることだ。

ソロモンは深く瞳を閉じて、その時を待った。

胸の奥深くに刺さった甘い棘の痛み。

 

そう・・・、この胸の甘い痛みこそが、正しく恋なのだと・・・きつく唇を噛んで・・・。


20060805
単に、サヤはハジのものだといいたかったが為に書きました。
ありがちな展開で・・・ははは。
ええと、サヤがソロモンに拉致されて、目が覚めるまでの間・・・と言う感じでしょうか。
時間が無くて、今ひとつ深く読み返していないし、勢いだけで書いてるので・・・
勢いで読み流して頂きたいです。ソロモン初書きです。
実際、ソロサヤ派ではないので、ソロモンに厳しいと思いますが(ファンの方すみません)
今後もこの路線は変わらないと思います。
むしろソロハジがいい。ホモ臭いな(笑)