La  Dolce  Vita  〜秘密のチョコレート〜 
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「ねえ、ハジ。…私、チョコレートケーキが良い」
キッチンで夕食の準備に勤しんでいたハジは、唐突な小夜の発言に思わず「は?」と声を上げ、先程から手伝うでもなく自分の背後を行ったり来たりしていた恋人を振り向いた。
「…今夜の夕食はシチューですよ。それにデザートはプリンの予定ですが…」
剥き掛けのじゃがいもを手にしたまま、知っているでしょう?と几帳面に答えるハジの鼻先をピンと伸ばした人差し指で弾いて無邪気に小夜が笑う。勿論!と、どこか赤みを帯びた褐色の瞳が輝いている。
シュバリエであるハジは食事をする必要がない。彼が料理に腕を振るうのは小夜一人の為だけにだ。第一このメニューをリクエストしたのはあなたでしょう?と、尚もハジが首を傾げると、どこか得意げな様子で小夜がカレンダーを指差した。
予定の書き込める実用的なカレンダーは実質この家の主夫であるハジが選んだもので、几帳面な文字でその月の予定や買い物のリストなどがメモされている。
その中でひときわ目を引く赤いマジックで書き込まれた大きな花丸。
その日付はまぎれも無く2月14日だ。
「今夜じゃないよ。…週末…、バレンタインでしょ?」
「……それは。……知ってます」
やれやれ…と言った風情のハジに些か焦れったそうな様子さえ覗かせて唇を尖らせてみせる。
そんな小夜にどこか複雑な思いを隠せないまま、ハジは手にしたじゃがいもをカッティングボードの上に置くと裾の長い前掛けで濡れた手を拭いた。幾ら世間に疎い小夜の事とは言え、まさかバレンタインの意味を取り違えてはいないか…。
バレンタインとは女性から好意を寄せる男性にチョコレートを贈って愛を伝える日…だった筈だ。
少なくともチョコレートケーキをおねだりする日では無い。
しかし、ここでその間違いを自ら訂正しては…まるで小夜からのチョコレートを自ら催促しているかのようではないか…。
肩で小さく息をすると、仕方なくハジは訂正する事を諦めた。
最近やたらテレビコマーシャルで流れている『逆チョコ』なるものが頭を掠めたのだ。女性から男性にチョコレートを贈るバレンタインの習慣は日本独特のものだし、こうして世相に合わせ少しずつ文化が変化していく様を、これまでにもハジは実際に目の当たりにしている。
それも良いのかも知れない。
二人の間では彼女が絶対で…。
小夜が一言青いと言いさえすれば、太陽さえも青くなるのだ。
それはハジが彼女の単なる従者だった頃から変わらない。
思えば…あの長い戦いを経て小夜がハジに我儘を言う事などすっかり無くなってしまったけれど、こんな風に下らない事で唇を尖らせるところは何も知らず無邪気に過ごしたあの頃の様で、心の内に小さからぬ傷を負っている小夜が、時にはこんな風に邪気のない笑顔で自分に対して我儘を言ってくれる事もハジにはまた嬉しいのだ。
ハジは腕を組み、しばし思案する。
「チョコレートケーキも色々ですよ。小夜が食べたいのは…ザッハトルテ?それともガトーショコラ?クラシック・オ・ショコラ…ショコラタルトと言うのもありますが…」ハジの口から次々と紡がれるチョコレートケーキの名前に、小夜の瞳が一瞬にして輝きを増した。
「どれも好き!…ハジ、作った事ある?」
「いえ、どれもありませんが…。簡単なものならばレシピを見れば何とかなるかも知れません…一度作ってみましょうか?」
ハジの好意的な答えに、小夜は更に嬉しそうに目を細めた。
「ありがとう。ハジ…私も手伝うね…。だから、ハジも食べてね…」
どこか腑に落ちない表情で、それでも律儀に「ありがとうございます」…と礼を忘れないハジに頷き、小夜が付け足した。
「バレンタインって本当は女の人からチョコレートをプレゼントしなくちゃいけない日なんだよね。…でも、ハジはチョコレート食べないでしょ?去年のプレゼントしたチョコレートだって結局ハジが食べたのは最初の二口だけで、あとは全部私が食べちゃったじゃない?」食べる必要はないけれど、食べられないと言う訳ではない。
それは私の食べるスピードより貴女が手を伸ばすスピードの方が遥かに勝っているからです…とは、とても言えなかった。
「…はあ。しかし私は小夜の気持ちが嬉しいのであって…それでも構わないのですが」「……あのね、一応私も考えたんだよ。今年のバレンタインどうしようって…」
再び、はあ…と返事を返して、小夜の言い分に耳を傾ける。
「お店に行けば美味しいチョコレートはたくさん売ってるし…。気持ちの問題なんだから。別にチョコレートじゃなくても良いかな…とか。色々考えたんだけど…」
「……」
けど…なんだと言うのだろう?
「でも…やっぱりチョコレートがないと寂しいかと思って。それでね、今年はハジにチョコレートケーキを焼いて貰おうって思いついたの。だって私一人じゃ絶対に無理なんだもん。ね?駄目?…一緒に手伝うから、バレンタインの日は一日一緒にチョコレートケーキを焼いて、一日ずっと一緒に過ごしたいなって…思って…」
練習して自分で焼こう…ではなく、焼いて貰おうと言うところがいかにも小夜らしい。要約すれば、結局は自分が手作りのチョコレートケーキを食べたいから…と言う風に聞こえないでもないし、一日一緒に過ごそうだなんて…別にバレンタインでなくてもいつも一緒に居るのだけれど。
それでも、ハジは小夜が懸命に頭を悩ませて、そう言ってくれる事を素直に嬉しいと思う。ハジは重ねて「ありがとうございます…」と小夜に頭を下げた。
その僅かに屈んだハジの首筋に、小夜は背伸びするように腕を巻き付ける。
そんな小夜の体温がいつもより僅かに高い。
「しばらく…顔見ないでね…」
ハジの行動を先読みするように、彼が口を開くより早く小夜が言う。 
「どうされました?小夜…」
「だって…。恥ずかしいんだもん。顔見ないで…」
「…そうですか?」
「うん。…だって、これじゃ…私ハジの事大好きって言ってるようなものじゃない…」なんの自覚も無く、小夜がそんな可愛らしい事を言う。
「いけませんか?……私は小夜のその気持ちが、とても嬉しいですよ」
さりげなく小夜の細い腰を抱き寄せて耳元に囁くと一瞬大きく背を震わせて小夜がささやかな訂正をした。
「いけないんじゃなくて…。…………恥ずかしいの…」
「…では、………顔は見ませんから…」
大きな掌が小夜の後頭部に触れ、酷く優しいのに有無を言わせない自然さで小夜を引き剥がす。
見ませんと言ったとおり、その瞳は一瞬の後うっすらと閉じられた。
近付いてくるキスの気配に、小夜もそっと瞼を落とす。
小さく啄ばむ様な優しいキス。しかし小夜はそれ以上を許す事無く、無情にもハジの腕を強く拒むとにっこりと笑った。
「今日の晩御飯はシチューとデザートにプリンね!」
小夜らしいと言えば小夜らしい。
それとも彼女なりの照れ隠しなのだろうか…。
色気より食い気を装って、小夜がハジの腕をすり抜けた。
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「卵を冷蔵庫から出して室温に戻し、全ての材料を図る…」
レシピをプリントした用紙に目を落とし小夜が真面目な声で読み上げた。
ハジは既に一応の作業工程を頭に入れている。
「卵は3個ですよ、それにチョコレート160グラム、バター75グラム、粉砂糖110グラム、薄力粉70グラム、洋酒は…そうですね、ブランデーを大さじ3杯」
記憶している分量を告げると、小夜が感心したようにハジを見上げた。
「凄いね。覚えちゃってるの?」
ハジは柔らかに微笑んで次の作業手順を小夜に指示する。
「…小夜。料理は手際ですから、初めての料理は作り始める前にしっかりと手順を抑えておくことが成功の秘訣ですよ。お菓子作りは特に準備が大切です。さあ、チョコレートを計って…」
「…う、うん」
可愛らしい赤色のエプロンを身に着けた小夜は、珍しくやる気を出してか改めてブラウスの袖をまくり上げた。製菓用の板チョコの包装をびりびりと破り、目分量で半分に割ると可愛らしいレトロなデザインの量りの上にのせた。
「ちょっと…待ってね」
そう言って、足りない分を更に細かく割ってのせていく。
どうにも要領を得ない彼女の手際に思わず手を出しそうになりながらも、ハジは根気良く小夜を待つ。
手作りのチョコレートケーキを食べたいのは小夜だ。
小夜が食べたいと言えば、その為に努力する事も吝かではない。
しかし小夜も、彼女なりにバレンタインの趣旨を意識してか、積極的に自分が手伝わなくては…と思っている様子で、料理教室の生徒さながらに、真剣にハジの言葉に耳を傾けている。ハジにはその気持ちが何より嬉しく、不器用なりに頑張っている…その姿が愛しい。幾ら時間がかかっても彼女の気持ちを酌めば…どうしてもと言う部分以外はなるべく横から手を出してはいけない…と思う。
出来の悪い生徒ほど可愛い…と言うような心境で小さな背中を見守りながら、ハジはホール型にバターを塗り大きさを合わせて切りぬいたクッキングシートを敷いた。
手際よく卵白と卵黄を分けてそれぞれをボールに移し、残った殻や小夜が破り捨てたチョコの銀紙を片付けてゆく隣で、小夜もまた、きちんとハジの言いつけを守り丁寧に分量を量っていた。
チョコレート、バター、粉砂糖、薄力粉…。
それぞれを小さな容器に分量の分だけ取り分ける。
計ったチョコレートをカッティングボードの上で刻むように指示を出しておきながら、ハジは卵白に粉砂糖をざっと半分を投入し、メレンゲを作りに取り掛かる。
チョコレートは湯せんで溶かしてしまえば削り方がどうだろうと問題は無いが、メレンゲ作りは失敗すると上手くケーキは膨らまない。
二人の愛の結晶ではないが…折角二人で作るこのケーキが膨らまない…等と言う残念な事態はどうしても避けたい。何より、美味しいと言って食べてくれる小夜の笑顔が見たいのだ。ハジは穏やかな口調とは裏腹に、厳しい程の目付きでメレンゲの入ったボールを見詰めた。
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完成した生地を流し込んだホール型を、180度に温めたオーブンに入れる。
そんなハジの様子を、小夜はすぐ横でじっと見守った。
結局、小夜が手を出せたのは最初の材料を量り、チョコレートを刻んで湯せんするところまでだった。
チョコレートケーキを焼くのは初めてだと言ったにも関わらず、ハジは慣れた手付きで手早く作業を進め、いつしか小夜も完全にアシスタント役を辞退していた。
何しろ作業のスピードが最高のカギなのだ。
ハジは両手からミトンを外し、小夜に向き直る。
「さあ、これで30分お待ち下さい…。焼き上がりが上手くいくと良いのですが…」「…楽しみ!!結局…全然手伝えなくて…ごめんね…ハジ」
「いえ、そんな事はありませんよ…。……ですが」
「………?」
「すぐには食べられませんよ。しっとりさせたいのなら明日以降の方が尚良いかと思います…。あまり焼きたて熱々のチョコレートケーキは頂かないでしょう?少なくとも暫く…冷めるまでは…」
小夜自身もケーキなど焼いた事はないのだから気がつかなくて当然かも知れない。しかし言われてみればその通り、と納得する。
「昨日焼いておけば良かったのかな…。でも、今日がバレンタインなんだから…どうしても今日焼きたかったの…」
僅かにしゅんとしたその表情すら愛しくて、ハジはこんな事もあろうかと買っておいたイチゴと生クリームを冷蔵庫から取り出した。
「小夜…。まだチョコレートの残りがあるでしょう?折角ですから、もう一品用意しましょう…」
「何?」
「…チョコレートフォンデュは如何ですか?」
ハジの言葉に再び小夜の瞳が輝きを取り戻した。
「イチゴにチョコを付けて食べるあれ?」
「生憎お洒落な…フォンデュ鍋はありませんが…」
「そんなの…全然構わないよ」
「イチゴと…他には、マシュマロもお好きですよね?後は…」
そう言いながら、パントリーの棚をガサガサとひっくり返して食材を探すハジの背中から、小夜も棚を覗き込んだ。
「朝食べた残りのクロワッサンも?」
基本的に食べる必要のないハジでも、勿論味覚は備わっている。チョコクロワッサンの甘い味を想像してか、ハジも賛成して笑った。
「それは美味しそうですね…」
「ねえ…ハジ。座って!チョコレートフォンデュなら、私にも作れそう。私…作ってあげるから…」
「作り方をご存知ですか?」
「ううん…。だってハジが知ってるんでしょう?」
何とも彼女らしい答えに、ハジは丁寧に作り方お説明する。
料理とも言えないほど、チョコレートフォンデュの作り方は簡単だ。
まず用意した食材を一口大に切ったら、それぞれをピックに刺し、次に耐熱の容器にチョコレートと生クリームを入れ、電子レンジで加熱する。
沸騰しない程度で取り出したら、泡立て器でよくチョコレートを溶かし、更に香り付けの洋酒をたらして掻き混ぜる。
後は各自で、溶けたチョコレートに食材を付けて食べる。たったそれだけの作業、切って溶かして混ぜさえすれば良いのだから…と、小夜は嬉々として体面式のキッチンからハジをダイニング側に押し出すと、『ここで待っていて!』と、いつものカウンター席に座らせた。
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慣れない手付きで包丁を握る小夜の姿をぼんやりと視界に収めながら、ハジは今ここにある幸せに浸っていた。自分たちの未来に、こんな穏やかな時間が訪れるとは、あの頃は想像も出来なかった。
立ち切れない小夜への思慕は死ぬまで伝えられないと思っていたし、まさかそれを受け入れて貰えるだなんて…。
あの頃。
遠い昔、近隣の住人からは動物園と呼ばれ忌み嫌われたジョエルの広大な屋敷に身一つで売られてきた哀れな少年だった自分にとって、小夜の…この無邪気さがどれだけ救いになったことだろう…。
最初こそ、高慢な態度でハジに出来もしない無理難題を言いつけては困らせていたけれど、一たび彼女の素顔を知ってしまえば…年上と言えども、愛するな…と言う方が無理だと思える程、小夜は愛らしかった。
ジョエルの莫大な資産の元で、何不自由ない贅沢な暮しをしていたとは言え、外の世界を知らずただ一人暗い屋敷の奥で時間に取り残され、小夜は孤独と戦っていた。そんな彼女に出会えた事、不幸な偶然とはいえ…こうしてシュバリエとなり小夜と長い時を共に過ごせる事、そして彼女が自分の愛を受け入れてくれ、今こうして…恋人として隣に寄り添う事が許されている事。どれ程の苦悩と悲しみ、苦しみの波を被ったとしても、今こうして傍らで小夜が無邪気に笑ってくれる事。ハジはその笑顔が何より嬉しく愛しい。表情には出さずとも、ハジは世界中のすべての存在に深い感謝を捧げずにはいられない。そしてこの先も、小夜の傍らでこの笑顔を護り続けたいと…
「ハジ?」
声を掛けられてようやく我に返る。
いつしか辺りはチョコレートケーキの香ばしい香りに包まれていた。
「…さ…小夜…」
間近に覗き込まれて、ハジは自分が深い思い出の世界に浸っていた事に気付いた。
「ねえ、ハジ。もうすぐ…30分経つよ…。それに、チョコフォンデュ…!」
そう言って無邪気に笑う様は本当に時間があの当時に戻ったかのようで、間近で覗き込むそんな彼女を思わず抱きしめたい衝動に駆られながらも、ハジはかろうじて耐えた。「ハジは電子レンジで良いって言ったけど、今ケーキ焼いるから…」
そう言って差し出した小鍋。
とろりと溶けたチョコレートが鍋の中で艶を放っている。
「沸騰しない様に気を付けたんだよ…」
言われてみれば確かにそうだ。ケーキが焼き上がるまでは電子レンジは使えない。小夜なりに考えたのだろう…小鍋で生クリームを温め、火から下ろしたところで細かく削ったチョコレートを溶かしたらしい。
仄かに鼻孔を擽る甘い香りは先程のブランデーとは違い、最後に垂らしたのはグランマニエだろうか…。簡単な調理とは言え、日頃一切料理というものをしない小夜にしては上等な出来だった。
「うまく出来ましたね!」
ハジの称賛がよほど嬉しいのか、小夜はどこか得意げな様子で鍋敷きの上に小鍋を置くと、どこからともなくさっと取り出したイチゴを小鍋の中のチョコレートに浸けた。
先端に可愛らしいピンクのハートが付いたピックの先を持ってゆっくりと持ち上げる。
「少し柔らか過ぎたかな?」
そう言って目の前に持ち上げられたイチゴのチョコレートフォンデュから、とろりと垂れるチョコレートにハジは思わず指を伸ばし、しかし指で触れる事も憚られて唇でそれを受け止めた。
舌の上に広がるチョコレートの甘味…噛み締めると程よいイチゴの酸味が溢れ出す。「美味しい?」
どこか悪戯っ子の様な表情でハジを見詰める小夜の唇にも、同じ様にチョコレートが付着しているのを見つけると、つい考えるより先に唇が出てしまう。
「ええ…」
小さくそう答えたまま彼女の唇の端についたチョコレートを舐める様にして唇を塞ぐ。柔らかな口唇を割り、舌を差し入れると応える様に小夜のそれが絡みついてきた。
チョコレート味の口付けに応えながら、小夜の両手がギュッとハジの胸元に縋る。
皺になる程強い力で白いシャツを握り締め、ゆっくりと小夜が身を任せてくれる。その重みを胸で受け止めてハジは小夜を抱き寄せた。
「ちゃんと…美味しいでしょう?」
そんな風に確かめなくても、きっと既に味見と称するには多過ぎる程のチョコレートを舐めている事を、唇についたチョコレートが物語っていたけれど…。
小夜は小さく頷いて、再びぎゅうっとしがみ付いた。
覗き込むと、少しはねた前髪の下で赤褐色の瞳が揺れている。
「あのね、…今更なのかも知れないけど…。私…ハジの事が好きよ。こうして変わらずに傍に居てくれる事…すごく嬉しいの」
「それはそっくりそのまま、私の言葉ですよ…。小夜…」
「不器用で、…ごめんね」
本当は一人でちゃんと手作りしたチョコレートをプレゼントしたかったけど…。
そう小さな声で囁いて、はにかんで見せる。
確かに一緒に暮らしていては、小夜がハジに内緒でチョコレート作りを練習する隙などない。
過保護な兄に向って、『ハジに渡すチョコレート作りをOMOROで練習させて…』と言うのも、彼女なりに恥かしかったのかも知れない。
「あなたが一人で何でも出来る様になったら…私の出番が無くなってしまうでしょう?今日は一緒にケーキを焼く事が出来て、とても楽しかったですよ」
何も欲しいのは手作りチョコレートではない。
小夜のそうした気持ちが嬉しいのだから…。

ハジは脇に置いた小鍋から指先でチョコレートをすくうとそっと小夜の唇に含ませる。ふっくらとした赤い唇に蕩ける甘味をのせてハジは小さく『頂きます』と唇を寄せた。甘い唇を味わいながら、ハジは理性が崩れていくのを感じていた。
今ここで細い腰を抱き締めて、固く結ばれたエプロンのリボンの先を引いても、小夜は怒らないだろうか…頭の片隅でそんな事を思いながら、ハジは彼女の唇を名残惜しく解放した。
濡れた半開きの唇で…とろんと潤んだ瞳で…うっとりとハジを見詰める…そんな危うい表情の小夜が、不意に悪戯を思いついたかの様に小さく笑った。
先程のハジよろしく、小夜が小鍋に手を伸ばすと指先にすくったチョコレートをハジの唇に塗り付けたのだ。
「お返し…」
そう無邪気に笑って背伸びをすると、首筋に縋る様にして口付る。
小夜の可愛らしい舌先がちろりと唇の端を舐め辿るうち…抑え込んでいた欲がむくむくとハジの中で膨らんでいく。
小夜のたどたどしい愛撫は、果たして意図してのものなのだろうか…。
ほんの少し迷い、ハジは彼女の顔を覗き込み伺いを立ててみる。
「…すみません。小夜…あなたが作って下さったフォンデュの味は最高ですが…。今は別の甘いものが……欲しくなってしまいました…」
「………ハジ?」
一瞬遅れてその言葉の意味を悟ると、小夜は耳まで赤く染めて俯いた。
さらさらと落ち掛かる真っ直ぐな黒髪、そんな小夜の綺麗な頭髪を見詰めながら、ハジは今この腕の中にある幸せを噛み締めずにはいられない。
「…そんな。私、そんな……つもりじゃ…無かったんだからね…」
「そうですか?」
本当に?と問うけれど、この際彼女の答えがどうであろうと、結果は変わらない。「そうだよ…。私はただ…ハジにチョコレートを…」
そう言ったきりぷいと横を向き、それでも抵抗を示さない小夜の体をハジはぎゅうと抱き締めて腕の中に閉じ込めた。
「では、どちらも頂く事にします」
硬く結ばれたエプロンのリボン…その端をゆっくりと引くとあっけなく解けてはらりと落ちる。
「ハジの…欲張り…」
吐息がかかる程間近で、小夜がうっとりと囁いた。
   
                      To be Continued…


20090218
ひとまず、表に置けるのはここまで。
あまりの下らなさに、敢えてコメントする事も無いんですが…たまにはヤマも無くオチも無く、ただラブい二人…。しっかし…これだけの薄い内容に8200字あまり…って。

続きの気になる方は、宜しければ某所へどうぞ。あ、18歳未満の方はご遠慮下さいね〜。