タイトルなんてありません(笑) 単なるエロ連載です。
20071019スタート

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淡い薔薇色のサテンで仕立てられたオフショルダーのドレスは、ハジの見立てだった。Aラインのスカートが美しいシルエットを描き、前から見るととてもシンプルなのにバックスタイルは背中をリボンで編み上げ、ウェストにたっぷりのフリルが寄せてある。
真横から見ると、裾を引くように後ろスカートが長くデザインされていて、どこかウェディングドレスのトレーンのようにも見えるところが小夜も気に入っている。
モダンなデザインの蛇口から勢い良く流れる水に手を浸すと、その冷たさが心地良い。
パーティーの熱気にあたったのだろうか。
乾杯にしてはややいつもより飲み過ぎたシャンパンのせいなのか…鏡に映る自分の頬が幾分朱に染まっているのを気にして、小夜は濡れた指先でそっと頬に触れた。客室のサニタリーは広々としていて、隅々まで清潔に掃除が行き届いていた。
大きな鏡は一点の曇りもなく磨かれ、真っ白な洗面台にはガラスの一輪挿しに赤い薔薇の花。ジョエルの館に暮らしていた頃はともかく、こんな高級なホテルのスウィートに宿泊するのは小夜にとっては慣れない事であり、今こうしていてもどこか場違いな夢の中のような気がする。
静かに沖縄で暮らす小夜とハジの元に、ゴルトシュミット家の次期当主である、7代目の結婚披露パーティーの招待状が届いたのはもう半年も前の事だった。もうそんな表立つ場には出たくはないというのが二人の本音ではあったものの、この機会を逃せば…間もなく当主のイスを息子に譲るとはいえ、まだまだ忙しい6代目に…もしかしたらもう会える機会はないのかも知れない。
翼手との戦いが結末を迎えて以来、赤い盾と言う組織はその存在意義を変え翼手という未知の存在を認めた上で、その共存を目指し、彼らを保護している。とは言え、ゴルトシュミットといえば表向きは世界的な大企業であり、そのフィールドは多岐に渡る。このホテルもゴルトシュミットの持ち物である。白髪の混じった車椅子の6代目は、当時と変わらない穏やかな表情で『お好きなだけ滞在して下さい』と笑った。

今ではもう、赤い盾の構成員の中ですらハジと小夜の正体を知らされていない者もいる。それは、あの戦いの後、二人が出来るだけ静かな普通の環境で過ごせるよう6代目の配慮が行き届いているからだ。ここでは二人の正体を知る者は少なく、そんな彼らにとって小夜とハジはただ遠方から招かれた美しいゲストであり、二人の関係は恋人、もしくは婚約中の二人であると誰も疑わない。
華やかな席はそこに同席するだけでも二人の気持ちを華やいだものにする。
けれど、同時に知らない相手と交わす他愛もないおしゃべりは、小夜にはどこか気疲れするのも事実だった。
決して自分から他人に話しかける事こそないものの、そつなくその場の空気に溶け込み談笑を交わすハジの傍らで、小夜はうっとりと恋人の横顔を見詰めて過ごした。


ガラス張りの大きな浴室にはジャグジー付の丸いバスタブ。
それとは別にシャワーブースとサウナが用意されている。
ハジと二人で宿泊するには広過ぎる客室、まるでマンションの一室のようにエントランスが設けてあり、寝室だけでも三つもある。初めてこの部屋に足を踏み入れた小夜が、冗談に『勿体無いからそれぞれ別の寝室で休もうか?』と笑うと、ハジは何とも言い表せない表情を覗かせた。
そんなハジの表情の意味するところに気付かない小夜ではない。知らず頬を赤く染めながら、しかしどう答えて良いか解らないままに小夜はくるりとハジに背を向けた。
そんな小夜に、背後からハジが囁く。
『こんなに広いバスタブならば、一緒に入浴も出来ますよ…』
『〜〜〜〜〜っ!!』
『冗談ですよ…』
ハジは柄にもなくそんな事をさらっと言ってのけ、すぐに冗談だと流してしまったけれど、小夜の心の隅にもそんな期待があった事など、とても口に出来る筈もなかった。


こうしてやや黄色味を帯びた柔らかな照明に照らされて、小夜はふっと我に返る。
「いけない、ハジを待たせてるのに…」
いつの間にか部屋の雰囲気に飲まれ、ぼんやりとしていた自分に気付いて、小夜は慌てて手元の小ぶりなパーティーバッグに手を伸ばす。
お披露目の宴はまだ続いている。
酔いが醒めたら早く化粧を直して戻らなければ…。
小夜は華奢な細工の施されたコンパクトを取り出した。
元からファンデーションなど必要としない木目の細かい白い肌、それでも流石にドレスアップするには素顔では不釣合いで、小夜はうっすらとメイクを施していた。
慣れないメイクに手間取りながらも、ドレスに合わせてほんのりと口紅をのせると、不思議と心まで華やぐようで嬉しかった。
自分を見詰めるハジの視線がどこかくすぐったい。
そんな小夜をエスコートしてくれるハジは、一分の隙もなく黒いタキシードを着こなしている。静かに促されるままハジに片手を預ける。
間近で見上げる恋人の横顔に、まるで雲の上を歩いているようで…。

鏡を見ながら、小夜は慣れない手付きで口紅を塗る。
白い洗面台に手を付いて乗り出し、震える指先で紅筆を走らせる。酔いがまだ抜け切らないのか、自分で見ても瞳が潤んでいた。

コンコン…

その時、背後のドアが遠慮がちにノックされる。
小夜は慌てて白いロンググローブを嵌めると、唇を噛んで振り返った。
「小夜…ご気分でもすぐれないのですか?」
「開けても良いよ…。大丈夫…私メイク慣れてないから…」
時間が掛かってしまったの…。
そう言って笑う。
自分を案じるハジの声音に、小夜は明るい声を作って答えた。
遠慮がちにゆっくりとドアが開く。ハジは小夜よりももっとアルコールを口にしている筈なのに、冷静な表情に変化はなく、小夜の姿を認め幾分安心したように瞳を緩ませた。
「かなりシャンパンを召し上がっていましたので…」
「大丈夫…、心配させてごめんね。…もう戻らなくちゃ…」
バッグを手にするりとハジの脇を抜けようとした小夜の細い腕をハジが引き止める。
「小夜…。口紅が…」
「え…?」
「失礼します…」
ハジは背を折るようにして、小夜の薔薇色の唇にそっと指を伸ばし、そのぽってりとした柔らかな下唇を親指の腹で丁寧になぞった。
「口紅…はみ出してた?」
小夜の問いにハジは曖昧に笑う。
「本当は口紅など塗らなくても、小夜の唇はとても美しい薔薇色ですよ」
「……塗り直す」
「…では、私が塗って差し上げます…」
白い指先から口紅をそっと奪い、意外にも慣れた手付きで口紅を扱う。
小夜をスツールに座らせて、自らはその前に跪くとじっと小夜を見上げその頤に触れる。
小夜は心持ち緊張してハジの言うとおりに従っていた。いつもなら、自分で出来ると…まさかそこまでハジの手を煩わせたりはしたくないのに、今日はどこか思うようにいかない。
ハジが丁寧に口紅を塗り直してくれる、間近に迫るその美しい顔についうっとりと見惚れてしまう。
「小夜…?」
額に落ちかかる黒髪の合間から見え隠れする、切れ長の瞳。
その美しい空の青。
間もなく夜の帳に包まれる夕暮れの朱色から燃えるような赤へ、そして漆黒に沈むその直前にのぞかせる一瞬の群青。
「…ハジ」
小夜は一瞬、咽喉の奥まで出掛かった言葉を飲み込んだ。
「やはり、気分が優れないようでしたら…このままお休みになりますか?」
「…ううん、違うの…。そうじゃなくて…」
そうじゃなくて…
小夜は自分の前に跪く男の首筋にそっと指を伸ばした。
後ろで一つに纏められた黒髪を撫でるようにして触れて、その根元を纏めるベルベットのリボンに指先を絡める。
ゆっくりと引くと、それはあっけなく解けて…男の肩に黒い髪がさらりと流れ広がった。
「小夜?」
「……綺麗」
「やはり酔っておいでのようですね。悪戯はこれくらいにして…」
ハジは小夜のそんな甘えにも態度を崩す事無く、静かに微笑んで小夜の顔を覗き込んでくる。
「あ…っ、だ…」
抱いて…
とは、小夜からはとても口には出来なかった。

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