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小夜を射るハジの青い瞳は真っ直ぐ過ぎて、小夜に逃れる事も誤魔化す事も赦さない。
年上の男性との会話に慣れない小夜には、そんな風に柔らかに微笑むハジにどう応じたら良いのかが判らない。噛み締めた唇を、懸命に解いて…けれどなんと答えれば良いのか解らないまま、小夜が口篭ると彼の瞳が不意に柔らかく緩む。
「…貴女を困らせたい訳ではないのです。…それに若い娘さんの警戒心が強いのは良い事ですよ」
唐突に突き放されたような、どこか子供扱いされたような…小夜の心に一抹の寂しさが過ぎる。
確かに自分はこの森と家の中の事しか知らない。ハジにとっては昔世話になった相手の娘にしか過ぎないのだろう…。
けれど…。
せめて自分が彼を怖がっているのではないのだと伝えたくて、小夜は乾いた唇を開いた。
「…あの違うんです。…いえ、夜の森はやっぱり怖いけど…私、あなたを怖がっている訳じゃない。…私、体が弱くて、学校へも通っていないし、あまり家族以外の人と話すのに慣れていないんです。それに、夜の森へは行かないようにって父から言われてて…」
「叱られますか?」
「………多分」
普段は温厚な父ジョージが、奔放な兄のカイに対して時折覗かせる怒りの表情を小夜は思い起こした。
溺愛されて育ったせいか、小夜は自分自身が叱られると言う経験を余りしていない。
その怒気が直接自分に向けられると思うと、それだけでもう小夜の足は竦む。
「貴女を叱れる人間など、この世には一人もおりません…」
「そんな…?」
ハジはゆったりと微笑む。
自分を叱る…叱る事の出来る人間がいないとはどう言う事なのだろう…戸惑いながら、
しかし彼のその美しい微笑の前に小夜が言葉を失うと、ハジは尚もその笑みを深め、唐突に一つの提案を小夜に示した。
「…こうしましょう。私はまた参ります。その時は…父上のご了解を得た上で、この森を案内して下さい。勿論…明るい昼間に…」
それなら構わないでしょう?と…青年の瞳が問うていた。
どうして、この人は、こんな風に自分に執着するのだろう…。
目の前に立つ美しい男のゆったりとした微笑の前で、何も気の利いた受け答えすら出来ない自分に、こうまでして付き合おうとする理由が小夜には解らない。
「…あの…私…」
「……いけませんか?」
「…いえ、そうじゃなくて…」
あなたは父に用があるのでしょう?そう尋ねたいのに、言葉に出来なくて…。
「…では、約束しましょう…」
ただ立ち尽くすしかない小夜に、ハジは一歩前に進み出た。木漏れ日の下に居た青年が強い日差しを浴びてすっと目を細める。濡れたような艶を纏う黒髪が、どこからともなく吹き抜ける風に舞い上がった。少し癖のある黒髪が風に揺れると、この間とは違い彼が髪を解いている事に今更ながら気付いて、小夜は何故だか耳までが熱くなった。
夕方とは言え、足元の影はくっきりと濃い。
思わず視線を逸らす様に小夜が下を向くと、その影がふわりと揺れた。
また一歩。
青年の気配は、いつしか触れる程傍に迫っていた。
「これは、約束の証です」
俯いた小夜の視界に長い腕が伸び、形の良い指先がそっと小夜の顎をすくった。
「……っぁ!んん…」
顎をすくわれて、抗う間もなく顔を上げた小夜の唇をハジのそれが塞いでいた。
今まで体験した事のない柔らかな感触、一瞬遅れてそれが彼の唇であると理解する。
けれど初めての口付けに小夜の思考は停止していた。
拒絶する事も受け入れる事も出来ないまま、小夜は直立不動でその口付けを受ける。
確かめるように一瞬離れたそれは、すぐにまた落とされた。
まるで呼びかけるように、優しく小夜の唇を割る。
気付いた時には、彼の長い腕が小夜の背中を強く抱き締めていた。
なんとか、彼の腕に腕をついて耐えようとする小夜を逃さず、ハジの舌先がきつく小夜に絡みついてくる。
「んんっ!!…や…」
ざらついた舌先の生々しい感触に漸く我に返り、小夜が男の胸に懸命に腕をついたところで、その口付けが解かれる事は無かった。
強く舌を吸われ、呼吸もままならず、思わず涙が零れそうになる。
無理にこじ開けられた唇から、男の唾液が流れ込んだ。
と同時に、ハジの口中から小夜の口中へと渡される小さな玉。
つるりとした滑らかな感触。
味はない。
唇を閉じる事も吐き出す事も許されず、思わず噎せそうになりながら小夜は否応無くそれを嚥下した。
それを確かめると、ハジはやっとその苦しい口付けを終わらせる。しかし、解放されたのは唇だけで、小夜の体は相変わらず男の腕の中だ。
本当なら怒りも露に男を突っぱねる場面なのだろうが、小夜にはそれが出来なかった。
勿論、がっちりと小夜の背中に回された腕の拘束は簡単に解けるものではない。
しかし、それだけでなく、覗き込んでくる男の瞳が余りにも切ない色を浮かべ、じっと小夜を見詰めていたからだ。
熱く湿った男の吐息が、小夜の頬に掛かる。
最早涙目になりながらも小夜が訴えるのと、ハジが口を開くのとはほぼ同時だった。
「ど…して…?」
「…小夜。…お願いです。…思い出して」
ざわざわと森の緑が鳴った。
彼の後ろで、鎮守の森が大きく風に揺れて、先程までの晴天が嘘のように、空に黒い雲が流れ込み頭上で大きく渦をかいている。
「…あなたは、…何者なの?」
「………ハジとお呼び下さい」
吐き出すように苦しげに、青年はそうとだけ小夜に告げた。
睫が触れそうな程間近で、切れ長の瞳が小夜を見詰めている。
「…ハ…ジ…さん?」
「“さん”は必要ありません。ただ…あなたのこの唇で、ハジと…」
長い指がそっと小夜の桜色の唇を辿った。
「…ハジとお呼び下さい」
まるで魔法を掛けられてしまったかのように、小夜は状況を忘れて小さく呟いた。
「…ハジ」
必要以上に甘い響きは小夜自身が耳を疑う程で、濡れた唇がゆっくりと彼の名前を象ると、背中を抱く腕の力は一層その強さを増した。
「…小夜」
耳元で囁かれる自分の名前は背筋が震える程低く甘く…、抗う事も忘れさせる。
頭の片隅では、流されては駄目と声がするのに…実際には指先一つ自分の自由にならない。小夜は視線をハジに止めたまま、全身の力が抜けてゆくのを感じる。
けれど、その体はハジによってしっかりと支えられている。
愛しげに抱き寄せる力強い腕、小夜の視界を遮るように落ち掛かる黒髪。美しい青い瞳…まるで澄んだ湖の底のような濃淡。
形の良い唇が、薄っすらと開いた。
吸い寄せられるように、小夜はそっと瞼を閉じた。
三度、しっとりと重ねられる唇。

ぼつ…

ぼつぼつぼつ…

その時、とうとう大粒の雨が降り出した。
乾いた地面に叩きつけるように激しく、それはどんどんと数を増した。
雨特有の水の匂いが小夜の鼻腔に満ちる。
濡れるのも構わず、次第に深くなってゆく口付け。
きつく抱き締められた腕の中で、いつしか小夜の足は完全に宙に浮いていた。
素足からサンダルが転げるように落ちた。
それを合図のように、ハジは小夜を抱き上げると身軽に飛び石を渡り、母屋の軒下に小夜を運んだ。
縁側の上に小夜の体を横たえる。既にぐっしょりと濡れた髪から雫が垂れる感覚がやけにリアルで、小夜は窮屈に身を捩った。
背中に感じる固い板の感触。
ハジが圧し掛かるようにして、小夜を覗き込んでくる。
「………ハ…ジ?」
呼び慣れない彼の名前を、小夜は弱々しく呼んでみせる。
「小夜…」
この状況がまるで嘘のような穏やかで優しい声音で、ハジが答えた。
彼の髪も既にしっとりと雨に濡れ、水分を含んで、一層艶やかに見える。
「お許し下さい。この様にしか…私は…」
その先の言葉は発せられる事のないまま…、ハジはきつく唇を噛み締めた。
眉間に深い皺が寄り、まるで何かに苦悩するかのような、その表情が見下ろす。
指先でそっと小夜の濡れた前髪を払い、その額に厳かに口付けを落とした。
「お願い…。教えて…、どうして…こんな事をするの?…あなたは、誰なの?」
そんな男の表情に絆される様に、小夜の声は幾分落ち着きを取り戻し、到底庭先の縁側で乱暴されかけているとは思えない。
小夜自身、不思議なのだ。
この「ハジ」という青年を怖いと思う気持ちは、初めて会ったその瞬間から微塵も小夜の心に浮かんでは来ない。ただ、どうして?と疑問ばかりが浮かぶ。
あなたは誰?
どうして…私に?
どうして、こんな事をするの?
「…私は、あなたが、まだほんの小さな赤ん坊だった頃から…ずっと見守ってきました」
「………それってどういう?」
「あなたの事が愛し過ぎて…」
どうすれば、あなたを傷付けずにいられるのか…。
ハジはそう言ったきり、黙り込んだ。
二人の沈黙を埋めるように、激しい雨音が辺りに満ちる。
いつしか暑気は去り、湿った風はひんやりと冷たい。
暫く黙り込んだ後、ハジはじっと見上げる小夜の頬を掌で包み込むようにして、囁いた。
「愛しています。……小夜…ですから、どうか…私を受け入れて…」
耳元に甘く狂おしげに囁かれる愛の言葉。
常識で考えれば、はいそうですか…などと受け入れられる筈もないその告白に、小夜はどこか頭の奥が痺れて、麻痺してゆくのを感じる。
これ以上、許しては駄目…。
そう思うのに、男に圧し掛かられているというだけでなく、小夜の四肢は主の言う事を聞かない。
綺麗な顔が近付いてくる。
熱い吐息が首筋を擽り、柔らかな少女の耳朶を唇が含む。
やさしく歯を立てて、舌先が耳の裏を這う様にして舐め上げる。
ぞくりと小夜の背筋に甘い衝撃が走った。
知識では漠然と判っていても、小夜にとっては初めての事だ。
初めての感覚に全身の力が抜けそうになるのを堪えて、小夜は訴えた。
「や…やめて。お願い…」
小夜の抵抗は、激しい雨の音に半ば掻き消され…それでもハジの耳には届いているだろうに、彼は首筋へと落とす唇の愛撫をやめようとはしない。
人気が無いとは言え、ここが庭に面した縁側である事が小夜を苛む。
こんな場面に父が帰宅したら…言い訳も出来ない。
するとまるでその思いを読んだ様にハジが言った。
「…心配しないで。…誰もここにはやって来ません。私とあなたの二人きりです…」
「…そんな…」
そんな筈は無い。
それは、どういう意味なのだろう…。
屋内であるというのならともかく、ここは庭先だ。
先程の彼のように、森に迷って誰かが庭先に侵入する事だって有り得る。
それだけではない、もう小一時間もすれば、父ジョージや弟のリクが帰宅する筈だ。束の間愛撫が止んだその隙に、小夜は男の胸に腕をついて彼を引き離そうと試みる。
しかし、抱き寄せてくるその腕の力は強く、小夜の抵抗は難なく押さえつけられた。
べったりと濡れた白いワンピースが肌に纏わり付く。
逃れようともがいたせいで、膝丈のスカートが捲り上がっていた。
そしてそれを見過ごすはずも無く、ハジはゆっくりと右手を下方に伸ばした。
露になった太腿にハジの掌が置かれる。
慈しむ様に、焦らす様に、その掌は小夜の滑らかな肌の上を彷徨い、次第に内側へと入り込んでくる。
「だ…駄目っ…」
思わず叫ぶ。本能的に逃れようと体を捻ると、僅かに開いた内股の間にするりとハジの指先が忍び込んだ。
「小夜…」
それは宥めるような声だ。
覗き込んでくる瞳は、切ない程真っ直ぐで…、それでも嫌々と首を振ると、彼は開かせた小夜の両足の間に強引に体を滑り込ませ、僅かに体重をかけるようにして小夜の抵抗を抑え込むと、あっさりと右手を太腿から離した。
そして、優しい仕草で小夜の髪を梳いた。
「…私を拒まないで」
小夜に触れる指先…。
…今まで、気付いてさえいなかった。
彼の右腕は皮膚を覆うようにしっかりと包帯が巻かれているのだ。
どうして今まで気が付かなかったのだろう…。
怪我をしているのだろうか…。
場違いにそんな事を思うと、ハジはそんな小夜の変化に気付いたのか、小夜の目前に右腕を持ち上げた。
「あなたには、この腕が…どの様に見えているのですか?」
「……怪我…?…包帯」
その答えにハジは小さく頷いた。
それは問いに対する答えなのだろうか…それとも。
「…時間が無いのですよ。…お願いです…、小夜」
薄い木綿のワンピースは既に濡れて肌にぴったりと張り付き、その下のブラジャーの模様までもが透けて見えている。ハジは抵抗の弱まった小夜の胸を、躊躇う事なく掌で覆うと
ゆっくりと捏ねる様にして全体を揉んだ。
抑え込まれた体は思うように身動きが取れず、小夜は居た堪れない感覚にただ髪を乱して首を振る事しか出来なかった。
布地の上からその力を確かめると、ハジは徐に小夜の胸元のボタンを外した。
白い。
白い陶器のような素肌。
ハジはその胸の谷間に顔を埋めゆっくりと彼女の胸を覆う白いレースのそれを押し上げた。
零れるように、外気に晒される乳房。
まるで
ぎたての果実のような瑞々しい白い肌に、淡く色付いた先端の乳頭。
ハジは溜めていた息を吐き出すと、緩々とその先端に頬を摺り寄せた。先端に触れられると、その小さな乳首は次第に形をくっきりと立ち上がる。
「ああっ…や。…止めて…」
小夜の中にもどかしい熱が生まれる。
小さなそれは、じわじわと全身に広がって指先すら震わせる。

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