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「ハジ?」
小夜が重ねて問い質すと、ハジは一瞬辛そうに表情を歪める。
けれど、さらさらと流れ落ちる黒髪が彼の表情を隠し、次に顔を上げた時にはまるで何事も無かったかのようにその表情は静かだった。
「ハジ?」
恐れる様に彼の名前を呟く。
もはやそれは問い掛けると言うよりもずっと頼りない響きだった。
「…小夜。以前から何度も言っているでしょう?命は巡るものです。…どんな命にも限りと言うものがある…それは如何な神だとしても自分の思い通りに出来るものではありません…」
ハジの指がそっと小夜の唇に触れた。さも、愛おしそうに柔らかな膨らみを撫で、じっと言い聞かせるように青い瞳が小夜を覗き込んでくる。
「私は貴女が再びこの世界に生まれてくるのを待っていました。…それこそ、気が遠くなる程…再び貴女に会える日だけを想って…」
「ハジ…」
「しかし、やっと見付けた貴女の命は、生まれたばかりだと言うのに、既にその人生に幕を下ろそうとしていました…」
「…………?」
何を言っているのだろう?
じっと見つめ返す小夜に答える様に、ハジは唇に触れた指先をそっと髪に滑らせる。そうして、滑らかな小夜の髪の感触を楽しむ様に、繰り返し梳いては指先に絡める。
絡め取られた髪束は、するりと滑ってさらさらとハジの指先から零れ落ちた。
「…見ていられませんでした。まだ生まれたばかりの嬰児である貴女は、先天性の病でたった数日の命を終えようとしていた…それが犯してはならない行いであると知りながら、私はとても死に逝く貴女を見ていられなかった。やっと再び巡り合えたのに…。気持ちを確かめ合う余裕すらなく、貴女は再び私の手をすり抜けてゆこうとしていた。私は…もう一度…貴女に名前を呼んで欲しかった。こうして…貴女の熱に、触れたかった…」
「…ハジ?…それって…」
「………貴女はこの家の本当の娘ではありません…」
それは薄々解かっている。
テーブルの上に飾られた写真。
若き日の父ジョージと、見知らぬ女性に抱かれた少女。
ハジとの過去を思い出すまでは、その幼子は自分だと思い込んでいた。
勿論、家族の誰一人それを疑ってはいない。
しかし小夜は気付いてしまったのだ。
明らかに自分とは違う幼い少女の顔立ち。
あれは自分ではない…、ではあれがこの家の本当の娘「さよ」だと言うのだろうか…。
「ようやく再び巡り合えた貴女を手放す事など出来なかった。…私は禁を犯し、一度は鼓動を止め掛けた貴女に新たな命を与えたのです…」
小夜はきょとんと瞳を見開いた。
「新たな…命…?」
それはどう言う意味だろう?自分は既に一度死んだ存在であり、ハジの力で再びこの世に生きていると言う事なのか…。
「小夜…」
真実を知った小夜を労わる様に、ハジが優しくその名前を呼んだ。
抱き寄せる腕に身を任せ、小夜はハジの胸にぺたりと頬を寄せた。
そんなに心配しなくても大丈夫…そう教えたくて小夜は呟いていた。
「…平気。私には…ハジが全てだから…」
その気持に偽りなどない。
けれど、不自然に声が震え出すのを小夜には抑える事が出来なかった。
ハジは悲しげに微笑んだ。
「私は、命を落とそうとしている貴女を、この世に繋ぎ止めました。病で貴女を亡くしたと信じ込んでいる貴女の本当の両親の腕から貴女を攫い、迷った末…この地へ戻りました…。この地は、何より私の力を一番強く揮う事が出来るのです」
当時を思い出す様に、ハジは淡々と続けた。
「しかし、人の嬰児である貴女を、私が育てる事は出来ません。ですから…私は貴女をジョージに預けたのです。彼は幼い愛娘を亡くしたばかりで、彼女が生き返るのならば…悪魔に魂を売っても良いとさえ…そう願っていたのです。そうして…彼は、愛する娘を取り戻しました………」
「愛する…娘?…それが…私…なの?」
「……ええ」
その意味するところを思うと、小夜の胸に複雑な感情が芽生える。
父にとっては、自分は亡くした娘でしかないのだろう…。
父は小夜自身ではなく、彼の中にある幻を小夜に重ね慈しんで育てたのだ…。
「ねえ………もし私が、居なくなったら…。お父さんは…?」
「…解かりません。幸せな夢を見ていたと思うのでしょうか…。それとも、再び娘を亡くす悲しみを味わうのか…。しかし、それが元の…あるべき状態です」
確かにそれが、本来あるべき状態なのかも知れない。
自分はこの家の本当の娘ではないのだ。
自分はハジと共に生きたい。その為に自分は存在するのだから…。
しかし小夜は自分が居なくなる事で父ジョージが悲しむ姿など想像したくも無かった。
あの優しく朗らかで時に厳しい父の顔が、悲しみに歪む姿など…。
自分はこの家の娘ではない…そう思えば、赤の他人である自分をよくここまで大切に育ててくれたものだと思う。小夜の心に湧き上がって来るのは、深い感謝と共に言い様も無い寂しさと悲しみだった。
ハジは、小夜の心中を慮りそっとその頬に指を重ねた。
昔からの癖の様に、そっと前髪を梳く。
「…全ては私の行いに起因しているのです。小夜には一つも責任はありません…」
「……ハジ」
「何も言わないで…。小夜…」
だって…と、言い掛けた唇が言葉を発する前に、ハジは戒める様に小夜の唇を奪った。
半開きの唇の隙間から舌を差し入れて、小夜に絡める。
ぎゅっと目を閉じて、ハジに応えながら…目頭が不意に熱くなって、小夜は縋りついたハジの腕をきつく握り締めていた。
「…ん…ぁ…。あぁ…」
唾液が糸を引く様に、唇が数センチ離れる。
すぐ間近にハジの瞳が小夜を覗き込んでいた。ぶつかった視線を不自然に逸らして涙を隠すと、小夜はその胸に顔を埋め、唇を噛みしめた。
「ハジ…。それでも…」
私はあなたと共にありたい…。
「私を、迎えに来てくれたんでしょう?」
応える様に…優しく労わってくれる掌がゆっくりと背筋を撫でる。
細い肩を抱き寄せて、何度も繰り返し…。
「…小夜。……泣かないで…」
「…泣いてなんか、…いないから…」
小夜は大きく深呼吸を繰り返した。
しばらくそうしてハジの胸に頬を預けていたけれど、やがて小夜は明らかに潤んだ瞳を上げた。
私達は、ただこうしていたいだけだと言うのに…。
ただこうして、同じ時間を一緒に過ごしたいと言うだけ。
何も特別なものは要らない。他には何も要らないから、ただ二人静かに過ごしたいだけだと言うのに…。
ただ単にハジは竜であり、小夜は人間であるという…種族が違うと言うだけで…自分達にはどうしてもそれが許されないと言うのだろうか…。
それとも、これほどまでに愛せる相手に巡り合えた事だけでも…本当は感謝しなくてはならないのかも知れない。小夜の想いを汲む様に、ハジの青い瞳がすうっと細められた。
「小夜…貴女の事は私が必ず…守ります…」
「…守る…?」
「………私はいつだって、貴女を守りたいと思っています。……例え、天に逆らっても、私は貴女の笑顔を守りたいのです…」
反らす事を許さない真っ直ぐな瞳、静かな声はそれだけでその想いの強さを示しているようで…、小夜は全身が燃える様に熱くなるのを感じた。
それは愛されているという確かな実感…。
触れて確かめる事の出来る肉体よりも…もっとずっと深い部分で、ハジが小夜を支えてくれる。
「…ハジ…。私…」
「小夜…。小夜…。…貴女に出会えた事で、私は初めて生きている事を実感出来たのです。私の長い生の中で、貴女だけが…私に生きている価値を認めてくれたのです。こうして貴女を抱き締めている瞬間だけが…私の安らぎです…」
思い詰めた口調にざわざわと小夜の胸が騒ぎ出す。
それは不安と紙一重で、小夜を甘い世界へと誘う。
「ハジ…。私だって…同じ。……私だって…」
あなたが全てなの…。
無言のまま、互いを求め合う様にしっとりと唇が重なる。
畳の上に二人は縺れ合ったまま崩れ落ちた。
ごろりと畳の上に転がると視界が反転する。
乱れた前髪の下で小夜が訴える。
「もう…駄目なんて…言わないで…。ハジ…」
「…小夜」
額を押し当てる様にして間近で見つめ合うと、言葉はもうその存在意義を失う。
声は意味を為す事無く、甘い吐息に変わってゆく。湿った息で耳元を擽られると、一旦は求める小夜を押し止めたハジも、もう自らを偽る事など出来なかった。
二人を隔てる薄いシャツの布地すらもどかしく、互いに触れたくて…。抑えようのない感情を持て余す様に互いを求め、強く抱き締め合う。ハジの指が性急に小夜のブラウスのボタンを外した。
前を肌蹴、滑るように滑らかなスリップの生地をストラップごと、その肩からずり下げる。
白いブラジャーの上から、ハジは小夜の胸に顔を埋めた。
鼻先でかき分けるようにして、その柔らかな谷間の感触を頬で確かめる。
やがてそれだけでは物足りなくて、ハジは小夜の胸を覆うブラジャーのホックを外した。
丸い乳房が零れるようにハジの前に晒されると、堪らずハジはその先端を唇に含んだ。
舌先で転がされ時折強く吸い上げられると、小夜の体につんと甘い刺激が走り抜ける。
「あ…あぁ…ん。…ハジ…」
細い腕を、ハジの首筋に巻きつける。
そうしていても、自分達の間にまだ隙間があるような気がして、小夜は回した腕に強く力を込めた。
スカートの裾が乱れる。
その下からすらりと伸びる脚線に、ハジは片手を伸ばした。
乱れた裾から露わになる太腿、ハジの掌は宥めるようにその上に置かれ、ゆっくりと撫で上げた。
小夜の胸を頬張ったまま、掌を何度か往復させると、ハジは指先でその付け根にまで触れた。
躊躇いも無く小夜を覆う下着の縁に指を掛けると、器用にそれを下ろしてゆく。
やがて小夜はハジの求めに従い腰を浮かせ、ハジは難なく小夜の両足からそれを取り去った。
ハジの体が、しなやかに小夜の腕の拘束を解いて離れてゆく。
片時も離れたくはない。
そんな想いが溢れる様に、小夜は縋る様にして上体を起こした。
「…ハ…ジ」
小夜の訴える様な視線に柔らかに微笑んで、ハジが自らの胸元のボタンを外す。
「…全身で、…貴女に触れたい…」
「……待って。…私が…」
そう言うと乱れた姿のまま、小夜はハジの前に跪いた。
そっと指を伸ばし、その胸に触れる。
白いシャツの布地の下にはっきりと感じられる胸から腹部に続く硬い筋肉の感触。
愛しくて、小夜はうっとりとその胸に頬を寄せた。
ハジの指が優しく小夜の髪を撫でる。
促されるままに、小夜は一つずつハジのシャツのボタンを外した。
次第に彼の透けるように白い肌が現れる。
ボタンを全て外し終えると、小夜はゆっくりと彼の肩からシャツを脱がした。
良く出来た?と言わんばかりに、見上げる小夜をハジは抱き締めた。
「…待って、まだよ。…私…」
ハジの腕に小さく抗うと、小夜は恐れる様にハジのウェストに指を伸ばした。
「…小夜」
「……私に…、させて…ハジ…」
潤んだ瞳で、それを強請る。
どうしてハジに拒めよう…。
「…小夜」
羞恥を振り切るような手早さで、小夜がハジを露わにする。
既に硬く変化し始めているそれを取り出すと、その先端をちろりと舌先でなぞる。
「…小夜」
「……うまく、出来るか…解からないけど…」
そう言って見上げる小夜の表情は、羞恥の為か真赤に染まっている。
返事を待たず、小夜は唇を開くとゆっくりとハジのそれを含んだ。