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暗い窓の外で、雨が降り出した。
せわしない吐息以には、しんと静まり返った寝室の窓ガラスにぽつぽつと雨の当たる音が聞こえ始める。それは次第に増えて、リズミカルに勢いを増してゆく。肌触りの良い褥の上に横たわり、男の前であられもなく両足を開きながら、彼の与える快感にぼんやりと霞みつつある脳裏のほんの片隅で、小夜はそんな気配を察していた。

ああ…駄目。

小夜は雑念を払うように小さく頭を打ち振るとぎゅっときつく目を閉じる。深夜の雨はいつしか本降りの様相を呈していた。

「雨宿り」   
                  三木邦彦

照明を落とした薄闇の中に浮かび上がる白い足が揺れている。
細く美しい女の脚線、その両足の秘めた狭間に顔を落とした男の舌先が、執拗に…そしてこれ以上ない程丁寧に柔らかな彼女の襞を舐め…時折唇を強く押し付けるようにして吸い上げる。
敏感な突起を焦らすように指先で摩られると、鋭い刺激にたまらず小夜の腰は浮き上がり、その度に彼女の体内から溢れる大量の愛液を男はさも美味そうに濡れた音を立てて啜る。
悪戯な舌先と指が齎す間断ない愛撫。
上り詰めたいと願う小夜の正直な体を、男は思うままに操っていて…満たされようとするその寸前ですっと愛撫の手を休めてしまう。
「ん…ハ…ジ…。駄目…そんな風に…しないで…」
決して嫌ではないのに、そんな風に焦らされれば、思わず制止せずにはいられない。
もどかしくも遣る瀬無い快感の波。
時間を掛けて愛そうとする男の思惑とは裏腹に、これでは彼を受け入れる前に、小夜は気を失ってしまいそうだ。
けれど…、最後まで…彼の果てるその瞬間まで…、小夜は彼を抱き締めていたいのだ。
「…小夜?」
「……ハジ。…もう、…お願い…」
顔を上げた男に両腕を差し伸べて、引き寄せる。
漆黒の闇の中でさえ、仄かに光沢を浮かべ…緩やかに波打つ黒髪を掻き分けるようにして首筋に細い腕を絡め、その耳元に強請る。
「貴方を…私に頂戴…」
「小夜…」
男は深い息を吐くと、今までその狭間に顔を埋めていた滑らかな太股を撫でるように掌を滑らせると、軽々と両腕に抱え上げた。長身の男にそうされる事で、無防備な小夜の細い体は腰までが持ち上がってしまう。額に一つ口付けを落として、男は慎重に小夜の濡れた秘腔に自身を押し当てた。
「本当に…良いのですか?」
今更だと言うのに、そんな風に了解を得ようとする。
ぬるりとした感触に思わず腰を蠢かしながら、小夜は鳴いた。
「や…もう。早く…ハジ」
私を解放して…
「小夜…愛しています。…必ず、私が貴女を守ります…」
男…ハジは真摯にそう誓うと小夜に急かされるようにして…けれど慎重に、細心の注意を払いながらゆっくりと腰を押し進めた。
滑るようにして、先端が小夜に侵入を始める。
大きな体積を飲み込もうとする鋭い痛みに、小夜が思わず眉間をきつく寄せる。
苦しい…。
体を裂かれる様な痛み。圧し掛かってくる男の重み。
想像以上に、それは困難を極める行為だった。
しかし漸く与えられた充足感に小夜は満たされた吐息を零した。
小夜にとって、ハジと一つになるという行為は必ず痛みを伴うものであるのに、それでも嫌にならないのは、彼の与える快感が大きくその痛みを上回っているからなのだろうか…。
それにも増してこれ以上ない程ハジを愛しているという自分の甘い感情を、そしてまた彼に愛されているのだという事実を全身で実感出来るからなのだろうか…。
どちらにしても、嫌どころか…時にハジを欲して眠れない夜さえあるのだから、元々自分は淫らな性分なのかも知れないと小夜は思う。
ゆっくりと時間を掛けて、ハジは己の全てを小夜の中に収めた。
そして小夜の内部をしっかりと味わうように、ハジは暫くの間じっとそうして小夜の体を抱き締める。
そうして抱き合っていると、小夜の内部はやがてその大きな異物の存在に慣れ、彼を包み込む鞘として柔軟に応え始める。そしてハジの腕の中で、こうして今彼と一つになっているのだと思うと、切なくて小夜の目尻からはぽろぽろと涙が零れるのだ。毎度と言っても良い程…情事の最中に涙を流す彼女に、ハジはその都度優しく問いかける。
「痛みますか?…それとも…悲しいのですか?」
薔薇色の頬に零れる涙を唇でそっと吸い優しく彼女の前髪を指先で整える。
表情の乏しい彼のそんな仕草に、小夜はふるふると顔を振って答え、そのどちらでもないのだと健気にも微笑んでみせる。
「離さないで…。大好きよ、ハジ。…未来永劫、もう私は貴方だけのものなのだから」
強い力で抱き締めてくれるハジの腕、小夜は甘えるように…その背中にしがみ付く。
「あっ…ん。…あっ…あっ…ハジッ…」
それを合図のように、ハジは注意深く小夜の内部を擦り上げ始めた。苦労して収めたものを僅かに引き抜き、小夜の反応を確かめるようにして再び深く貫く。
「や…ん。ああ…」
絡みつく熱い襞の感触。
自らの欲求を満たす為というよりずっと優しくゆったりとしたリズムで、ハジは繰り返し小夜の濡れた内部を擦り上げる。
「ああ…あっ…んんっ…やっ…ん」
ハジの動きに合わせて、小夜の唇からは堪えても堪え切れず意味を成さない
喘ぎ声が零れてしまう。
まるで自分の声ではないような甘い女の嬌声に、小夜は耳を塞ぎたくなる。
もう、何も考えたくはない。


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古いしきたりを重んじる山間の農村にあって、宮城家は代々続く神主の家系だった。
集落からは離れた、手付かずの山に続く鎮守の森を背景に建つ大きくて古い家屋。
赤い鳥居と小さいがどこか神々しい雰囲気を纏った社。
昼なお暗い鬱蒼とした木々に囲まれた静かな環境で小夜は育った。
年齢の近い兄のカイは、ゆくゆくはこの神社を守ってゆくべき跡取りでありながら、あまり神主という家業に関心が薄い様子でバイクを乗り回しては遊び歩いている。
その点、まだ幼いが勤勉で従順な性格の弟リクの方が、跡取りとして相応しいのではないかと村人に囁かれるほどで、そんな二人に挟まれた宮城家たった一人の女児である小夜は、それこそ父ジョ−ジにとっては目に入れても痛くない存在だ。
幼い頃から、体が弱いという理由で小学校へも中学校へも通っていない。
勉強は神主でありながら教師の免許を持つ父ジョージが付きっ切りで教えてきた。
しかし、勉強はともかく、年頃だというのに学校へ通っていない小夜には近い年頃の友人がいない。話すのも遊ぶのも、専ら兄妹であるカイとリクが相手である。
けれど近頃のカイと言えば、高校もろくに出席せずにバイクを乗り回し、家にも寄り付かず小夜の相手などする筈もない。
リクはリクで、中学校で籍を置いている生物部の発表が近いらしく、帰宅するのはとっぷりと日が暮れてからだ。
小夜はこのところずっと、日がな一日ぼんやりと過ごしている。小夜がハジに出会ったのは、そんな夏も終わりに近い一日の事だった。
その日も、小夜は一人だった。
父も村の所用で朝から出掛けている。
新学期が始まり、カイも珍しく朝から高校へ登校した様子で、広い家の中はがらんと静まり返っていた。
森の木々が作る濃い影のお陰か、案外に涼しい風が通る。
小夜は、父に言いつけられた家事を一通り終えると、他にする事も無く小さな坪庭に面した縁側でぼんやりと麦茶のグラスを傾けていた。透明なガラスに氷が当たる音がカラカラと一層涼しげな風情を演出する。
そう言えば冷蔵庫の中に、頂き物の水羊羹が冷えている事を思い出し、小夜は身軽に立ち上がった。
「…すみません」
神社に用のある来客であれば、まず社務所に声を掛ける筈だ。
神主である父は不在だが、社務所には事務員もいる。
しかし、その声は迷わず小夜のいる屋敷の玄関から響いた。
それをほんの少し奇妙に感じながらも、勿論神社には関係なく宮城家を訪れる来客もあるのだから…小夜は手にした麦茶を座卓に置くと、慌てて玄関に向かった。
小夜が返事をして磨りガラスのはまった引き戸を開けると、古い土間がそのまま残る玄関先にこの暑いのに真っ黒なスーツをきちんと着込んだ男が立っている。
肩に届く長い髪を後ろで一つに纏めて縛り、手荷物も無く、汗一つかいてもいない。
陶器のように真っ白な肌、濃い群青の瞳。
近寄れば、すらりと背が高く、どう考えても日本人ではないエキゾチックな印象だ。
どこか作り物のように美しい。しかしその暗青色の瞳に宿る光はとても強い色を湛えている。
小夜が出ると、少なからず驚いた表情を覗かせ、もう一度小さく「すみません」と小夜に告げた
日本人離れした見目とは対照的な、綺麗な日本語。
いや、綺麗な日本語と言うのではなく、彼の持つ声がとても美しいのだ…と小夜は不意に気付く。
「神主の宮城ジョージさんは、ご在宅でしょうか?」
「……い、いえ。すみません。父は今…所用で出掛けております」
小夜がそうして頭を下げると、彼は一瞬表情を緩ませ、また出直しますと頭を下げた。
「…私は以前お父上に大変お世話になった者で、ハジと申します。今日は別の用があってこの村を訪れました。折角ですので、ご挨拶を…と思ったのですが。また、出直す事に致します」
優雅な身のこなしで踵を返す彼に、小夜は思わず声を掛けていた。
「直に父も戻ります。折角いらして下さったのですから、上がって下さい」
「いえ、お父上の留守に、しかも年頃の女性一人の所に上がり込む訳にはいきません。暫くはこの村に滞在する予定でおりますので、また改めてお伺いする事にします。お父上には、一言…ハジが来たとだけお伝え下さい」
丁寧に頭を下げる。
そして不意に言った。
吸い込まれそうな瞳が真っ直ぐに小夜を射る。
「小夜…」
うっとりするほど美しい青年に名前を呼ばれて、小夜はまるで金縛りにあったようだ。身動き一つ取れないまま、目線だけで彼を追う。
「…どうして…。私の名前…?」
「……貴女の事は、お父上からよく伺っていたので…すぐ、解りましたよ」
本当にそれだけだろうか…。
名前を呼ばれ、ざわつく胸の動悸を抑える事も出来ないまま、小夜はその男…ハジを見送った。
鎮守の森に彼の後姿が見えなくなる頃、小夜は我に返るようにして…玄関を出た。
先程まで目を射る程の鋭い日差しだったというのに、いつしか空は曇天の様相だ。
どこかで遠雷が鳴っている。
篭った地熱を冷ます様に、ぽつりと雨の最初の一滴が小夜の足元に落ちた。
雨が次第にその数を増し、まるで歓喜するかのように小夜の足元で雨粒が踊る。
ハジと名乗った青年の美しい横顔が小夜の脳裏から離れない。
また来ると言っていた事を思い出すと、知らず小夜の頬が赤く上気する。
「…ハジ?」
唇にその名前を上らせると、自分は昔から彼の名前を知っているような気がした。


                              

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