ホワイトデーその1(タイトルと言う訳でありません…)


大学の春休みは長い。
長い…。
小夜は、ダイニングテーブルに着くなり、ふぁ…と堪え切れない欠伸を零した。
そんな小夜の様子に、向かいの席でブラックコーヒーのカップを手にしていた男が思わずふわりと微笑を零す。
「すみません、本当ならもっとゆっくり眠れるはずなのに…朝食の支度まで…」
既に春休みに突入して久しい小夜を気遣ってくれる恋人の言葉に、小夜は慌てて大きく開いた口元を掌で押さえて首を振った。
「ち、違うの。…眠かったんじゃなくて…」
日頃、授業とアルバイトと家事に追われて慌ただしく過ごしている小夜にとって、なんだかこんな風にのんびりと過ごす時間と言うものが些か退屈になってきているのだ。
とは言え、勿論遊んでばかりいる訳ではなくてきちんとアルバイトは続けている。
ただ講義がないお蔭で、普段は夕方からだったアルバイト時間を昼過ぎから夕方までに変更して貰っているのだ。午前中は比較的暇で、それこそ洗濯や掃除を済ませてしまえば、部屋に一人ポツンとする事が無い。
慌てて言い訳する小夜に、ハジは尚更表情を緩めた。
「退屈ならしばらく、沖縄のお父さんに顔を見せに帰ったらどうですか?」
「…気にしないで。ちゃんと電話で話してるし…」
沖縄へはお正月に一度帰省したばかりだ。
勿論、ハジも恋人として一緒に帰省し父にもきちんと挨拶してくれた。
その時の事を思い出すと、今でも頬が赤らむ小夜なのだけれど…礼儀正しいハジの態度に、父ジョージはすっかり態度を甘くして、『出来の悪い娘ですみません』なんて、…実際その通りで申し訳ないのだけれど…ともすれば小夜よりもハジの肩を持つ始末で、すっかり彼を息子扱いしていた。
それが、ついこの間の事ばかりだというのに…。
それに、今沖縄へ戻るという事は、一週間後に控えたホワイトデーを一緒に過ごせなくなってしまう。そんな小夜の想いを知ってか知らずか、ハジは空になったカップをテーブルに戻しながら、さも今偶然思い出した風を装って切り出した。
「…今週の土曜日、急ですみませんが…出勤する事になりました。……その代りと言っては何ですが…十四日は有給を取る事にしましたので…」
「………………十四日?」
「………ホワイトデーでしょう。……違いましたか?」
「…………ぅ、うん。違わない…。ホワイトデー…だよ」
答えながらも、ドキンと胸が高鳴って小夜の全身に緊張が走る。
小夜がバレンタインに贈ったのはいつもと変わらないカレーライスの夕食と焦げたチョコレートケーキだったけれど、ハジはとても喜んでくれて…。
ホワイトデーには、彼の贈りたいものを贈ります…という…、実に解り易い様な…解り難い様な事を言っていたのだ。
彼が何をくれようとしているのか、小夜は当日まで教えて貰えない。
ちらりと上目遣いにハジの表情を伺うと、ハジは殊更何でもない事の様に小夜を誘った。
「…一日早いですが、日曜日の夜、フレンチレストランを予約したので…」
土日はアルバイトを入れていないでしょう?と。
「………え、それ…。ホワイトデー…だから?」
「…それもありますが、小夜は今月でめでたく二十歳ですから。そのお祝いも兼ねて…。たまにはそういうのも良いでしょう?」
そう言う…と言うのは、つまりいつもよりも高級で贅沢なお食事という事だろうか…。
「……あ、ありがとう。でも……良いの?………フレンチなんて凄く高そう…」
「…横浜のロイヤルパークホテルです。……以前、泊まってみたいと仰っていたでしょう?」
「………横浜ロイヤルパーク…?……ねぇ、もしかして……お部屋も予約したの?」
「……エグゼクティブスウィートです」
「…………エグゼクティブ?……スウィート?」
それは以前テレビの特集で紹介していた横浜の高層ホテルだ。
建物が高層というだけでなく、お値段の方も相当お高かった気がする。
それがエグゼクティブスウィートなんて…。
一泊の宿泊料が一体いくらなのか…小夜には予想もつかなかった。
「……小夜はまだ横浜に行った事が無かったでしょう?…ちょうど良いかと思ったのです。日曜日は一日、横浜で遊んで…バレンタインのお返しと、それから…二十歳のお祝いに…」
「嬉しいけど…でも…そんな、急に言われたって…高級フレンチなんて、それに…そんなスウィートルームなんて…。…私何着て行ったら良いの?」
テレビで見ただけだけれど、思わず足が竦みそうな高級な店内だったように記憶している。そんな高級なフレンチレストランに、一体どんな格好で行けばいいのだろう?
「………去年、花見に行った時のワンピースは?とてもお似合いでしたよ…それとも、何か…新しく…」
「もうっ!そんな風に甘やかさないで!!…ハジはすぐに私に何か買ってくれようとするけど…」
ハジの先手を打ってぴしゃりとはね付ける。
「甘やかしているつもりは…」
ありませんよ…と。
二十歳の誕生日とホワイトデーは、彼にとってはそんなに大袈裟なものなのだろうか…。
そんな贅沢な食事も、豪華なスウィートルームも…確かにテレビで見たら『素敵!美味しそう!!』と言うのが女の子と言うモノだけれど、何も本気でそんな部屋に泊まりたいと思った訳ではない。特別な記念日にだって…ただハジが傍に居てくれさえすればそれで良いのだという事を、彼は全く理解してくれていない。
どうしてハジは…。
じっと睨むような小夜のきつい視線も、男にとっては可愛らしい対象でしかないのか、微笑むハジの前で…しかし小夜もまた仕方なく表情を緩め…
「…ありがとう」
と答えると、有難くその誘いを受ける事にしたのだった。



しかし。
出勤するハジの背中を見送ってから、小夜は思う。
…ホワイトデーに。
恋人と…。
フレンチレストランでディナーを頂いて…。

…その上、スウィートルームでお泊り…デートだなんて。


それはつまり。
昼間の横浜デート…だけではなく…。


…………………夜も……色々と…ありそう…。

…………………だなんて。

そんな、色々を想像してしまう自分が、堪らなくイヤラシイ様な気がして、小夜は顔を赤く染めて、掃除機を傍らにへなへなとリビングのラグの上にしゃがみ込んだ。

もう、一緒に住んでるのに………。

「……どうしよう。でも……やっぱり、こういう時は…。いつもより…お洒落でセクシーなランジェリーじゃなきゃ……駄目?」

誰にともなくそんな事を呟いて、小夜は両手で顔を覆うのだった。


                          《続》

20120427
2011年3月のブログに載せたSSです。