Present2


 恐る恐る降り立った駐車場は薄暗く、ひんやりとしていた。
人目に付かない様、駐車場は建物の地下に造られているのだ。
エントランスと言う案内が掲げられた曇りガラスの自動ドアは、車を停めた位置からほんの目と鼻の先だと言うのに、小夜にはとても遠く感じられ…男にエスコートされてそこに辿り着く僅か数秒の時間すら誰か人に会う様な事がないだろうかと、胸がドキドキと鳴った。
勿論、誰かとすれ違ったからと言って咎められるという様な事は無いのだろうが、場所が場所だけに疾しい気持ちが彼女の胸から消える事は無かった。
自動ドアが背後で締まると、小夜は大きく肩の力を抜いて息を吐いた。
そんな少女の様子に気付くと、ハジはそっと傍らを覗き込んで微笑みかけた。
「緊張…しているようですね?」
「だって…。誰かに会ったりしたら…」
「気まずいのはお互い様ですから、皆そうならない様に気を付けるでしょう?」
そうだろうか?
絶対ないと言い切れるだろうか?
「…で、でも、出会い頭にぶつかったり…」
ドラマなら、必ずそう言うシーンで、元恋人や会社の同僚と出くわしたりするものではないか…。
「…小夜は少し…テレビドラマの観過ぎですよ…」
くすくすと男が優しく笑うと、図星を突かれてほんの少し小夜の緊張が解けた。
ショルダーバッグを抱え直すと、男の腕に腕を絡める。
自動ドアが開き、駐車場とは打って変わって白く明るい階段を上ると、その先が本当のエントランスだった。
「ねえ、帰りのお客さんとバッタリって事は無いの?」
そんな事は無いのだろうと思いつつも、小夜は緊張を紛らわす様につい頭に思いついた事を口にしていた。
「…入口と出口はちゃんと別ルートですよ?」
「…ハジ、詳しいんだね?」
「……詳しいと言うか…」
それは一般常識でしょう?と、困った様に小夜を覗き込む。
その言葉に深い意味などなかったけれど、ハジにしてみれば過去を責められているように感じてしまっただろうか…。小夜は複雑な思いできゅっと唇を尖らせた。
 
エントランスは無人だった。
大きな白いタッチパネルが正面に据えられていて、沢山の部屋の写真と番号が表示されている。
それぞれの部屋には、宿泊、休憩、フリータイムなど、それぞれの料金も表記されている。
様々な部屋がある。内装の雰囲気もシックなものから可愛らしいキャラクタールームまで。
そう言えば事の切っ掛けになった友人は『シルキーバス』とか『岩盤浴』とか言っていたっけ…。
中には表示が暗くなっているものもあり、流石にその部屋が空いていないと言う意味なのだと言う事位は小夜にも理解出来た。
土曜日の午後と言う事もあるのか、部屋は数える程しか空いていない。
「どの部屋にしましょうか?」
数少ない選択肢を委ねる様に、男は小夜に尋ねる。
「え…。あの…」
『どの部屋にしましょう?』と聞かれても、今の小夜には積極的に希望を主張する余裕などなかった。興味はあるものの…こんな所で積極的に部屋を選んだりしたら、それこそハジに呆れられてしまいそうな気がした。
それに安い部屋と高い部屋ではかなり値段が違う。
困った様に…しどろもどろに小夜が隣の男を見上げる。
「どこが良いですか?」
「……ど、どこでも…良いよ。私…」
そんな小夜の様子にハジはまた小さく笑って…考え込む様に『そうですね…』とパネルに指を置いた。
 
ハジが選んだのは、最上階の部屋だった。
傍らの小さなエレベーターに乗って最上階に着くと、壁の案内版の表示が光って部屋の場所を教えてくれている。
照明の落とされた窓のない細い廊下は、お洒落に装飾されていたけれど…やはりこの雰囲気は独特のものだ。表示に従って廊下のつきあたりまで進むと、701と書かれたドアが見付かる。壁の照明がピカピカと点滅している。
「あそこですね…」
ハジが小さな声で囁いた。
普通のホテルにはないシステムに小夜が感心していると、ハジは手際良くカードキーでドアを開けて、小夜を通した。室内は明るくモダンなインテリアで統一され、小夜が想像していた所謂『淫靡…』な雰囲気とは掛け離れていた。
小さいながらもキチンと靴を脱ぐ玄関が設えられていて、小夜はパンプスを脱いで揃えると黒いスリッパに足を通して、先へ進んだ。
大きなメインルームには、これまた大きなベッドが鎮座していて目を釘付けにする。
黒い革張りの二人掛けソファーに、大きなマッサージチェアまで。
壁に寄り添う様に大きな薄型テレビが設置されている。
小夜がショルダーバッグをベッドの上に置いて、感心した様にマッサージチェアに体を預ける間、ハジもまた着替えの入ったボストンバッグを置いて、バスルームや洗面台をチェックしていた。
小夜は、まさか自分がこんな所にいる事が…勿論相手がハジであり初めて致すのではないのだとしても…まだ信じられない様な気分で、きょろきょろと部屋の中を見回した。
漸く人に会う心配のない二人の空間にやって来た事で、好奇心が緊張を上回り始める。
ふと目に付いたローテーブルの上には、インフォメーションと書かれたファイルが置いてあった。
手に取ってみると、一番に美味しそうなパスタやデザートの写真が目を引いた。
「ねえ、ハジ。すごく美味しそう!」
本格的なレストランの様なメニュー表に思わず目を奪われながら、何気なくページを捲ると室内の設備の説明、ポイントカードの案内や同系列のホテルの広告などが続いていた。
「ふぅん…」
一通り目を通し案内を閉じてテーブルに戻すと、小夜の後ろで男が備え付けのポットを手に小夜を伺っている。
「…コーヒーと紅茶がありますよ。ティーバッグですが…」
そう言えば、来る途中で見付けた初めてのケーキショップでおやつを買ってきたのだった。
生クリームのたっぷりとのったイチゴのスペシャルショートケーキと、ビターなチョコレートが堪らないガトーショコラ。
ハジに任せたままのそれを思い出して、小夜はマッサージチェアから飛び上がった。
「私するよ…?」
ガラスの戸棚には電気ケトルとコーヒーカップ、グラスなどがきちんと揃えてしまってあった。
小さな籠にドリップバッグコーヒーと紅茶と緑茶のティーバッグがそれぞれ二つずつ、スティックシュガーにミルクまで揃えてあった。
ハジは小夜の言葉に頷きながらも、既にポットを手に洗面台で水を汲んでいる。
「すごい…。……浄水器までついてる…」
「全ての部屋に…と言う訳ではないようですが、ここは一番ランクの高い部屋の様ですから…」
「…そうなの?」
小夜は部屋を選ぶ時もしどろもどろでハジが選んだ部屋の値段など見てもいなかった。
そう言えば、この部屋は最上階なのだ。
「バスルームから、テラスに出られますよ。ジャグジーがありますが…まだ少し寒いでしょうか?」
「ジャ…ジャグジー?」
「浴室内の浴槽はマイクロバブルバスです。……あと、小さいですがサウナも…」
ハジは視線で浴室を示した。
小夜はパタパタとスリッパを鳴らして、示された浴室のドアを開ける。
「…広―い!」
思わず感嘆の声が漏れる。
ハジのマンションの浴室も決して狭くはないが、ここはそう言うユニットバスの規格を超えている。
真っ白で大きな楕円の浴槽。
大きくはないが、湯に浸かったまま観られる様、壁にテレビが埋め込まれている。
人が寝転べるほどもある洗い場の床は、高級感ある石張りだった。改装したばかりと言っていた…掃除も行き届いていて清潔感がある。
「…ねえ、ハジ…。お風呂でテレビが見られるよ!」
部屋の方から
「…お風呂で見られるテレビを買ってあげましょうか?」
と、すかさず小夜を甘やかす声がする。
「お風呂から出られなくなっちゃうよ?」
只でさえ入浴好きな自分がもし浴室でテレビまで見られるとなったら…きっと上せてしまう…と自覚して小夜が声を上げる。
それにしても…。
一番ランクの高い部屋とは言え、その設備の豪華さに小夜は驚きを隠せなかった。
確かにこんなに設備が充実しているなら、ただ泊まるだけでも楽しそうだ。
『ただ…泊まる』
そう考えている自分に、小夜は思わず頬を染めた。
部屋に入って他人に見付かる心配がなくなったとはいえ、勿論忘れていた訳ではない。
ここは…只のホテルではない。
恋人同士で、……そういう事をするのが前提の…場所なのだ。
ハジだって…。
ハジだって…何もこんな部屋にわざわざケーキを食べる為に来たつもりではないだろう。
ハジはいつもと変わらず冷静で、優しくて、言い方を変えれば『何を考えているのか解らない』けれど、そのつもりでいる事に間違いはない。
今更一緒に暮らしているのに、そんな事で動揺するのもどうかと思うけれど…。
いつもは、それとなく…いつの間にかそんな雰囲気になって…頭で考える余裕もないままに、そう言う状況になっているけれど。
今になって、小夜は自分がどういう態度を取れば良いのか…解らなくなってしまった。
今更ではあっても…恥ずかしい…と言う気持ちは大きい。
このお風呂だって、つまり二人で入る事を前提としているからこんなにも広い訳であって…。
小夜は浴室の片隅にひっそりと立て掛けられたシルバーのマットにちらりと視線を投げた。
見た目は海水浴の時に浮かべて遊ぶ四角いフロートの様だけれど、使用目的が異なる事は明らかだ。
小夜はますます頬を赤く染めて、見なかった事にでもする様にぐるりと回れ右をして浴槽に背を向けた。
…と浴室の入り口で、ハジが不思議そうな表情で立っている。
「小夜?…紅茶が入りましたよ?」
「……あ、あの…。ありがとう。ハジ……」
心の中で考えていた事が見透かされてしまってはいないか…思わず返事もぎこちなくなってしまう。
「……どうか、しましたか?」
「…ぅ、ううん!何でもない…」
「……小夜は、ショートケーキですね。…何なら……ガトーショコラも味見しますか?」
勿論、ケーキを選んだ時からハジのガトーショコラも味見させて貰うつもりだった。
食べ物に関して好き嫌いのない彼だけれど、普段は然程甘味を好まない。お付き合いでガトーショコラを選んだけれど、それも勿論小夜の好みを踏まえてくれている。
「………うん」
そっけなく答えて、小夜はソファーに戻った。
ローテーブルの上にはティーバッグとは言え小夜の為に美味しそうに湯気を立てる紅茶と、自らのブラックコーヒーが並んでいる。備品の皿にケーキを盛り付け、きちんとフォークを添えて並べてある。
「…さぁ、頂きましょうか?」
小夜と並んで、ハジが腰を下ろす。
普段家のリビングだってソファーに座る時は並んで座るのに、こんな場所ではその近い距離が小夜を落ち着かなくさせる。
「…私がするって言ったのに…ごめんね」
すっかり準備をハジに任せてしまった。
ハジは熱いコーヒーを一口唇に含んで、テーブルの上のインフォメーションを取った。
「…さっき言っていたのはこれですね?…夕食はこの中から選んで持って来て貰いましょう」
「…………持って来て貰うの?」
「…そうですよ。まさか小夜に電話してくれとは言いませんよ…」
「むっ…無理だよ!」
そう慌てて声を上げ…小夜はハジが自分とはまるで違って、こういう場所に随分と慣れている様な気がして、不意に胸の奥がすっと冷めるのを感じた。
こういう場所、初めてじゃないんだもんね…。
それはかつて、小夜と出会う以前に…小夜の知らない誰かとこういう場所を利用したと言う事実に他ならない。それはハジ自身も認めている。
けれど全ては彼が小夜と出会う以前の話だ。
自分と出会う以前の事まで、縛り付ける事など出来ない。
解っているけれど…。
こんな大きなベッドで…。
あんな大きなお風呂で…。
他の誰かと、……そんな事をするなんて…。
危うく、そんなハジの姿を想像してしまいそうだ。
小夜は嫌な妄想を振り払う様に、ぶんぶんと髪を揺らした。
「…小夜?」
突然の小夜の不審な態度にハジが驚いたように覗き込む。
小夜と出会う以前の事とはいえ、そんな事すらも許せない…不愉快に感じてしまう程…自分は彼の事が好きなのだ…。
小夜はぎゅっと唇を噛んで、恋人の顔を見上げた。


20130925更新

すみません!凄い間があき過ぎ…。こそっと更新しときます。

このお話、ほんの気の迷いで書き始めたんですけど、このバカップルが〜〜!!という様な

内容のないお話で、すみません。読んでて楽しくないかも。

ただ、ここは裏なので脈絡もなくHと言うのは前提です。

まだ始まってすらいないケド…。

こんな感じですが、如何でしょう?Kさん(笑)

まだ当然続きますよん。。

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