無題…単にイチャツク二人とも言う…





昼間の小春日和がまるで嘘の様に、陽が傾くにつれて急に北風が勢いを増した。早めに取り込んだ洗濯物の山の前で途方に暮れながら、小夜は和室の畳の上で膝を崩した。
和室の南側は広縁になっていて、全面に大きく取ったサッシからはこぢんまりとした庭が見渡せる。
庭の片隅に植えられた百日紅も夏には鮮やかな紅色の花が咲き乱れたというのに、いつしかそれも散って今はすっかり落葉していた。
『秋の日はつるべ落とし』とはよく言ったもので、秋も終りに近いこの季節、見上げる空はもう薄ぼんやりと暮れかかっている。
こんな景色はどこか寂しく薄ら寒くて、小夜は薄手のカーディガンの前をぎゅっと握り締めた。

小夜は洗濯物を畳むのが苦手だった。
洗濯物を干すのはまだ良い。
第一洗う物の殆どは洗濯機任せで、小夜はただ洗濯籠に取り出した衣類を順に物干しに広げて皺を伸ばしていけば良い。それなりにコツもあるが、それにももう慣れた。
しかし乾いた洗濯物を畳むとなると話は別で、四角どころか形も大きさも様々な衣類をどうしてきちんと箪笥に収まる様に四角く畳めるのかと不思議にさえ思う。
今週に入って二日程続いた雨のせいで溜まった洗濯物は、大人の二人暮らしとはいえ小夜にとってはそれなりの量で、勿論今日の分まで全て乾いてくれたのは嬉しいけれど、一度に三日分も畳まなくてはいけないのかと思うと些かゲンナリしていた。
しかしそれは洗濯物を畳む事に留まらず、家事全般において小夜はどうにも不器用な性質なのだ。
それでも、世間でいう所の自分は専業主婦なのだ…単に苦手だからと言う理由でそれを几帳面で手先の器用な夫に任せてしまうのは気が引ける。
専業主婦と言うものは懸命になればなる程忙しい。しかしある程度のところで線を引いてしまえば、一日家にいて一人の時間を持て余す。
どちらかと言えば、自分には向いていないのかも知れない。
しかし…。
こんな時、ふと小夜は思う。
これが幸せと言うものである事を。
動物園で暮らしていた遠い昔には解からなかったその有難みを感じて、小夜は再び洗濯物の山に手を伸ばした。指先に何気なく触った柔らかな綿の感触。
洗い晒しの深い藍色のパジャマを山の様な洗濯物の中から手繰り寄せそっと抱き締める。
それは彼女のシュバエリエであり、今や夫でもあるハジのものだ。
本当のところ、几帳面で器用な彼の手にかかれば洗濯物の山など見る見る片付いてしまう。
小夜の為だけに彼が作る手料理はどこの一流レストランに出しても引けを取らないほど美味しい。
優しくて穏やかで、その上生きている事が信じられない程美しい。
そんな彼が小夜一人の為に、三十年と言う長い時間を一人で過ごして待っていてくれるのだ。
小夜にとって愛しくて愛しくて、何よりも大切な存在だった。
鼻先を押し付ける様にして深呼吸すれば、日中の陽だまりの匂いがした。
洗いたての石鹸の香りと共にふわりと鼻先を擽る彼の体臭に、どこか体の奥がぞくり…と熱を帯びる気がして、小夜は慌てて顔を上げた。
ハジに抱きしめられた瞬間に小夜を包み込む甘く優しい香り。彼が小夜に触れるその指先の宥める様な労わりに満ちた感触が同時に蘇り、一瞬小夜の背筋が震えた。
耳元に囁かれる愛の言葉のその深い響きと共に、体を貫く熱い楔。
そうと意識していた訳でもないのに昨夜の睦言がまざまざと体に蘇って、小夜の体の中心がとろりと潤う。
自分はこんなに淫らだっただろうか…。
ハジを知るまでは…。
ハジに教えられるまでは知らなかった自分の中に潜む女の性。そうと認める事はどこか後ろめたく憚られて、それなのに忘れようとすればする程、小夜の体は熱を孕む様で…。
小夜は唇を噛んできつく瞼を閉ざし崩した足を僅かにずらす、その僅かな刺激すら小夜を苛んだ。

ハジは午前中から出掛けている。
ハジの望む世界で生きて欲しいと言う小夜の希望もあり、彼は今プロのチェリストとして活動しているのだ。勿論、翼手であるから期間限定の活動かも知れない。しかし、長い時間を眠って過ごす小夜に比べれば、ハジは難なく社会に溶け込める。
チェリストと言う職は些か目立ち過ぎるのかも知れないが、しかし世間で脚光を浴びるハジを隣で見詰める事は小夜にとっても幸せには違いなく、そしてまた彼を支えてあげたいと心から思う。
働くと言っても精々おもろの手伝い程度にしか役に立たない自分と、ハジは違うのだ。
チェリストとしてのハジの評価は高い。
ソロでも十分に活動していけるだけの実力と人気を兼ね備えていて、最近ではあちこちから客演の声も掛かる。そんな彼の所属するオーケストラは定期演奏会を明日に控え、今頃はハジを含め楽団員達は皆リハーサルに熱が入っていることだろう。

それはふと小夜の心に芽生えた小さな出来心だった。
恐る恐る、ハジの指先を思いながらそっと自分の掌を胸にのせ、綿のブラウスとカーディガンの上から、やんわりと乳房を包み込む。その質量を確かめる様に、小夜はゆっくりと自分の乳房を持ち上げて優しく円を描く様に揺する。
ハジの掌はもっと大きくて力強い。
それなのに決して痛くはなく、いつも小夜を心地よくしてくれるのだ。
小夜はそっと目を閉じてみる。しかしいくら自分で触れてみたところで、ハジが与えてくれる心地良さには程遠く、そんな風に意図して自分の体に触れた恥ずかしさに打たれた様に、小夜は掌を膝に戻した。
じっと固まったまま微動だにせず、しかし数瞬後、迷う様に小夜はもう一度胸元に指を伸ばした。
今度はそっと胸元のボタンを一つ外す。
そしてもう一つ。
寛げたブラウスの胸元から指先を肌に滑らせると、指先が思った以上に冷たい。可愛らしいレースのあしらわれたブラジャーの隙間に、小夜はゆっくりと指を入れた。
決して大きくはない自らの胸の柔らかな感触に疾しさがこみ上げる。
何をやっているのだろう…自分は…。
慌てて収めた指先を再びハジのパジャマに伸ばし、小夜は肩を揺らし大きく息を吸った。
その時…
「小夜?」
不意に背後から名まえを呼ばれ、小夜の心臓は飛び跳ねる。
恐る恐る振り返ると不思議そうな表情でハジが覗き込んでいる。
「ハジ…」
「…どうかしましたか?小夜…」
「あ、ええと…。もう…リハーサル終わったの?帰ってくるまでに、畳んでしまいたかったから」
後ろめたい気持ちを隠す様にそう言い訳すると、ハジは気に留めた様子もなく小夜の傍らに腰を下ろした。
彼の長い足は畳の上にどこか邪魔そうで、それでもハジはきちんと小夜の隣に正座すると、
「ええ、予想以上に順調に。…たくさんあって大変でしょう?私も手伝いますから」
そう笑って、手元のタオルに手を伸ばした。
「……………」
固まったまま返事を返せない小夜を見詰める青い瞳が、怪訝なものに変わる。
「………小夜?」
「う…ううん。ごめんね。何でもないの…」
幾分赤く染まった頬を掌で押さえて小夜が首を振り、慌てて手にした大きなパジャマを、膝の上で格闘するように畳み始める。
そんな小夜の様子に、すっと彼の切れ長の瞳が細められた。
「早く済ませてしまいましょう…。急に冷えてきましたから」
早くリビングに戻って温かいものでも飲みましょう…と倣う様にハジもタオルを畳んだ。ハジが手伝ってくれると、どうしてこんなに早く終わってしまうのだろう。
見る間に片付いてゆく洗濯物の山の前で、小夜は内心先程までの疾しい気持ちを彼に気付かれていない事に胸を撫で下ろす。
しかし、ほっとした小夜の心を見透かすように、不意にハジが言った。
畳み終えた洗濯物の山を脇に退けると、そっと目を伏せる。

                   
Thank you very much!
イラスト くーまんさま 


「…小夜。…何か……。…私に、不満があるのならきちんと言って下さって…構わないのですよ…」
「………えぇ?…ふ、不満?…不満なんて、ない…よ…」
状況を飲み込めないまま、それでも答える小夜に、青い瞳が『本当に?』と伺っている。
いつもの彼らしからぬ歯切れの悪さに、小夜もまた『どうしたの?』と瞳で問い掛ける。
小さく小首を傾げる姿に、益々ハジは気不味そうに視線を反らした。
「いえ…。それならば…良いのですよ…」
やはり歯切れの悪さは変わらない。それなら良いと言うけれど、そんな風に言われてしまっては尚更気になってしまうのは致し方のない事かも知れない。
「…良いって。…おかしなハジ…」
視線を上げる彼の視線が僅かに胸元で止まり、小夜は瞬時に思い至って胸元を両手で押さえた。
明らかに不自然だと思う。これでは…。
「あ…あのね…。ハジ…」
咄嗟に言い訳をしようとして、口ごもる。
ハジは何も言わず、何事も無いようにもう一度目を伏せた。
何と言えば良いのだろう。
どうしてこんな状況で、ブラウスのボタンが三つも外れているのか…。
一つや二つならまだ良い。しかも大きく開いたブラウスの隙間からはチラリとその下のブラジャーのレースまでが垣間見える。
正面に座るハジの位置からでは尚更だろう…。
何も言わずに平然と黙ってブラウスの乱れを直せば良かったのか…。
しかし、先程までの自分を思うその後ろめたさや気恥かしさ…何とも言えない気不味さに、思わず口を開かずにはいられなかった。
だからいつも自分は、彼に隠し事が出来ないのだろう…。
不自然に二の句が継げないまま、小夜はとにかく慌てて胸元のボタンを嵌めた。
気を遣っているのか、ハジは何事もないように視線を反らし、手元の洗濯物を畳み始める。
俯いた彼の顔を覗き込むようにして、小夜はそっと声を掛けてみる。
しかし何を言って良いのか…。
「…ハジ?」
「…どうしました?小夜…」
「ごめんね…」
洗濯物を畳む手を止めてハジが視線を上げ、真正面から見詰められると益々何も言えなくなってしまう。
つい謝罪してしまう小夜に、ハジは苦笑した。
「何か…私に謝るような事があるのですか?小夜…。…私は何も見ていませんし、何も…」
気が動転している小夜は、ハジのその含みを持った言葉に気が付いてはいない。
ハジはそっと吐息を吐いた。
それはそうかも知れない。
つい『ごめん』だなんて言ってしまってから小夜は僅かに後悔する。
「…違うけど」
今や完全に仕事の手を止めて、ハジは小夜を見詰めている。
魅惑的な青い瞳にそんな風に見詰められては、小夜にはもうどうする事も出来なかった。
どこか不自然な空気を払拭できないまま、小夜は膝の上で神妙に指を固く握った。
小夜を見詰めたまま、しばらく迷う様に考え込んでいたハジが、仕方がないと言った風に
「…すみません、…少し私も…動揺してしまったので…」
「……。…動揺?」
「……目の毒、…とでも言いましょうか…」
小夜は身動きできないまま、ぎゅっと唇を噛んだ。
「…男の私の口から、こんな事を言うのは何だと思いますが…。
どうして三つもボタンが開いているのか、あらゆる事態を想像してしまいました…」
「………あらゆる…事態って…」
ハジがそっとその手を差し伸べた。
招かれるままに、小夜は正座のままぐっとハジの方ににじり寄る。
「…何故、朝にはきちんと止まっていたボタンが外れているのか…。例えば、昼間シャワーを浴びて着替えて嵌め忘れたとか、しかし真夏ならともかく、どうしてこんな季節に昼間シャワーを浴びる必要があるのか…とか。どうしてそんなに慌てる必要があったのか…とか…ですね。貴女に限ってあり得ない事だとは解かっていますが、私には言えない様な来客があったのではないか…と」
「………」
ハジの言っている意味の半分も理解出来ないまま、小夜はふるふると首を振って否定する。
「お客さんなんて来てないよ」
「…解かりますよ。…この家に第三者の気配は残っていませんから。……しかし、それなら何故このボタンは外れているのだろうと…」
「…………」
どこか遠回しに彼はいったい何を言っているのだろう?
「…小夜」
名前を呼ばれて、手を差し伸べられて…小夜は条件反射の様に身を乗り出してその手を取った。
ぐいと強い力が小夜を引き寄せ、弾みで小夜は前のめりになりながらもハジの胸に抱き締められる。
広い胸にすっぽりと包まれて、小夜は彼の膝の上に体を預けた。
「ですから、…私に何かご不満があるのならば…ありのままを仰って下さって構わないのですよ…と言ったつもりなのですが…」
「…ハジの言う事は良く解からないよ…」
間近に見上げた頭上でコホンと小さな咳払が一つ。
「……いざとなると男の方からは訊き辛いものなのです。…小夜」
「…何?…ハジ、お願い言って…」
「………では伺いますが、…昨夜は、…………物足りませんでしたか?」
思い詰めた様に間をおいてハジが言う。
小夜の脳裏は真っ白で…。
「…………」
当然答えられる筈もない。
「…私は男として、…貴女を満足させて差し上げられていないのかと…」
「…………」
ゆっくりと回転する小夜の頭に、ようやくその意味が浮かんだ。
「…や、……そんな…」
一気に耳までを赤く染め、小夜がギュッとハジの腕の中で身を固くする。
「…どうして…?…そんな事……ない…よ。…ハジ」
「…夫の留守に、貴女が一人でご自分を慰めなければならない程…寂しい想いをさせてしまったのかと…」
「…や。そんな事」
ないから…と、身じろいでその腕から抜け出そうとするのに、ハジの腕は頑として揺るがなかった。
ぎゅうっと抱き締められ、覗き込まれて、小夜は言葉を失った。
彼が本気になれば、小夜には最初から抵抗など出来ない。
小夜を腕の中に閉じ込めたまま、ようやく優しげな笑みを零した。
「ご自分で胸に触れてみたのですか?小夜…」
「違うよ…。そんな事してないから…」
本当は少しだけ触ったのだけれど…。
「本当に?」
「…昨夜、あれだけでは満足出来なかったのではありませんか?」
脳裏に昨夜の睦言が蘇って、小夜は赤い頬をますます赤くし、尚更逃れようとハジの腕の中でもがく。
「…あ、あれだけって…」
下りてくる唇から逃れて小夜が言い訳すると、珍しくムキになった様なハジが追いかける。
「どんなお気持ちで、貴女がそのボタンを外したのか…とても気になるのですが…」
「…どんな気持ちって…」
そんな事、言える筈もないのに…。
「いくら、道路に面していないからと言って…庭から丸見えの場所で…貴女は無防備過ぎますよ…」
「…み、…見てたの?」
まさか、そんな筈はないと思うのに、あんな自分を帰宅した彼に目撃されていたなんて…。
「……やはりお一人で、私に見られて困るような事を」
されたのですね…と、大袈裟な位に肩を落とした。
「違うのよっ。違うの…ちょっと、ちょっとだけ…。昨夜のハジに不満だった訳じゃなくて………。不満だった訳じゃなくて、………あの、……。………あの」
「…何ですか?…不満どころか、…本当はしたくもなかった?」
ハジの澄んだ青い瞳が笑って見つめ返してくる。
「…そうですか。……それでは、私は無理に小夜をつき合わせてしまったという」
「違うのっ。違うから…そうじゃなくて。ハジの事………思い出して…」
いつしか、息がかかるほど間近にハジの唇があって、言い掛けた小夜の唇を塞ぐタイミングを計る様にうっすらと開いていた。
「…小夜。…どんな風に?」
熱い息が小夜の唇を擽る。
まるで昨夜の様に…。
「…気持ち…良かった…の…思い出して…」
「それで、ご自分でも触ってみようと思われたのですか?」
ハジの唇が小さく戯れて、小夜の体からはくったりと力が抜けてゆく。
「………ん」
「…どうでした?それで…」
「…………嫌。…自分…なんて…」
「…聞こえませんよ。小夜…」
そんな筈はないと頭では小夜も解かっているけれど、よく響く低音が耳元で囁くと、もう抵抗など出来る筈もなく…。
「…ハジの方が、良い」
うわ言の様に小さく白状して、小夜はハジの首筋にしがみ付いた。
体をずらすと、自分ですら、既に濡れているのが解かる。
この責任は取って貰えるのだろうか…。
甘く霞んだ頭の片隅でそんな事を心配する小夜を、ハジは無理な体勢から抱きあげる。
ゆっくりと畳が遠のいてゆくのを、小夜はぼんやりと見詰めた。
「良く言えましたから…奥でご褒美を差し上げる事にしましょうか?」
抱きあげられた腕の中で、唇が求め合う。
「……ん」
猫の様に甘えた声で小さく小夜が答える。
うっとりとした小夜をその腕に抱き上げたまま、磨かれた廊下を歩いてゆくハジが小さく零す。
「全く……女王様には敵いませんね。…結局、良い様に振り回されているのは一方的に私の方の様な気がするのですが…」
私は、それでも構わない位…身も心も全てを貴女に捧げていますから…。
敵う筈もありませんしね…と優しく笑って、ハジは後ろ手に寝室のドアを閉める。どちらがどちらでも結局は同じ結論に至るのだと言う事には敢えて目を瞑って…。

20081113に裏絵板に載せました〜。
うっかり忘れて流れちゃうとこだったので、こちらにアップ。
別に18禁じゃないと思うけど、一応こちら。
そして思いがけず、くーまんさまにイラストも頂いたのでした〜!!
やった〜!!ありがとうございました!!