Present For You 1


薄暗い駐車場に車を停めている間中、小夜は小さな白いケーキボックスをそっと膝の上で支えたまま顔を上げる事すら出来なかった。
完全に車が停車し、エンジンが切られサイドブレーキが引かれる。
じっと固まったままの少女に、運転席の男は優しげな眼差しを向けた。
「着きましたよ…」
促す様にそう告げる。
小夜は、緊張した瞳をあげて…小さく『うん』と頷いたのだった。
 
 
□□□
 
 
仕事から戻ったばかりのハジは、先に連絡をくれていた通り食事は済ませてきたのだそうで、小夜と少しだけ言葉を交わし…すぐにバスルームへと消えた。
そんなハジの背中を見送って、小夜はほぉっと大きな溜息をついた。
ダイニングテーブルにちょこんと腰掛けたまま、手元のカバンから二つ折りの財布を取り出すと、こっそりと一枚のチケットを取り出す。まるで見られてはいけない物であるかのように、ぐっと顔を近づけてその文字に見入る。近所のスーパーの福引券とは違う少し高級な印刷、上品な書体で印刷された宿泊50パーセントOFFの文字。
 
 
何よりショックだったのは、至極当然の様にそれを手渡された事だ。
テスト前にノートを貸した友人が、『ノートのお礼』と称して小夜に手渡したチケット、それは聞きなれない名前のホテルの宿泊割引チケットだった。きょとんとした表情のままの小夜に、彼女は何でもない様子で付け加えた。
「そこ、春にリニューアルしたばっかりだから凄く綺麗だし、お洒落だよ。岩盤浴とかシルキーバスとかある部屋もあるし、一緒に住んでるなら必要ないかもしれないけど、たまには雰囲気が変わって燃えるよ〜」
「…も、…燃える?」
個室に岩盤浴が付いているというのか?
岩盤浴で燃える?…萌える?
意味が解らず、じっと手にしたチケットと友人の顔を見比べる。
彼女はニコリと笑い…一瞬周りを気にするように見回すとこそっと小夜に耳打ちした。
「そうそう、だってほら。…例えば、家のお風呂じゃ狭くて色々出来なかったりするでしょ?」
「…え、色々?…って」
小夜の鈍さが余程興味深いのか、やだ〜とお腹を抱える。
「…ねえ、小夜。念の為に聞くけど…勿論同棲中の彼とは…きちんとエッチしてるんだよね?」
「……っ!!え……や、…き、きちんとって…」
「ちゃんとやらせてあげてるかって事…」
「…やらせてあげる?」
目を白黒させる小夜に、友人は全てを悟ったような表情でぽんと小夜の肩を叩いたのだった。
 
 
いくら小夜だって『ラブホテル』と言うものの存在を知らない訳ではない。
生まれ育ったコザにだってホテル街なるものは存在した。
ただ今までの十九年間全く縁がなかっただけなのだ。
小夜のイメージでは、どこか後ろめたい秘密めいたその場所。
それが同じ年齢の同級生が普通に利用している…と言う現実が衝撃だった。
ああいうものは、もっと大人の男女が利用するもので…まさか未成年の自分達には縁のない場所だと感じていたのだ。しかし、落ち着いて考えてみれば、自分だってハジとする事はしているのだから、別に彼女をとやかく責める資格はない…何が世間の常識か…など小夜にはその基準は解らない。
…けれど…。
きっと、ハジは…。
きっとハジは、小夜以外の誰かと…そういう場所を利用した事があるのかも知れない…。
漠然とそう頭に浮かんだ。
そしてまた悪い癖だと知りながら、自分の知らない誰かの事を気にしてしまうのだ。
財布から取り出した割引チケットをその場で捨てられなかったのは、勿論折角それをくれた友人に対するマナーのようなものでもあったし、割引券と言う言葉に弱い女心もあったけれど、しかし一番の理由はやはり興味があったから…だと自分でも思う。
『皆…普通にこういう所に行ってるの?』
と言う小夜の質問に、彼女は笑った。
『人それぞれだと思うけど。…でもさ、例えば自分も彼氏も家族と同居してたら他に行くところがないじゃない?』
それは確かに最もな話だ。
小夜が納得げに頷くと、彼女は一言付け加えた。
『多分、男の人は嫌いじゃないと思うよ』
その一言がいつまでも小夜の頭の中で木霊している。
ハジもやはり…こういう所が好きなのだろうか?
そういえば、前に『いくら愛し合っていても毎回同じでは飽きる』とか何とか言っていたような気がする。『襲ってみませんか?』と言われた事もある。
小夜は頬を赤く染めながら、昨夜のそれを思い出してみる。
………………………。
理屈は解っていても、いざハジを前にすると何も出来なくなってしまうのは仕方のない事ではないのか…。優しくリードされるがままに、小夜はいつも全てをハジに委ねてしまう。
求められるままに、身を預け、口付けを受けて…。
思い出すだけで恥ずかしい。
耳までが熱く、それだけで体の奥がじわじわと潤ってくる様で…。
小夜はきゅっと唇を噛んだ。
ハジは…そんな何も出来ない自分をどう思っているのだろう…。
胸の奥がきゅ〜っと痛み出す。
ハジは…本当は、本当はもっと…。
「………や。……小夜?」
ダイニングの椅子に座ったまま、小さなチケットを握りしめて顔を赤くする小夜を、いつの間にバスルームを出たのか、ハジが不思議そうに覗き込んでいた。
「あっ…!!な、ななな…何でもない」
慌てて手元のチケットをぎゅっと握りしめた。その慌て様に、返って興味を抱いたのか、ハジの視線がそのチケットに集中する。
「何です?それは…」
大きな掌が小夜のそれに重ねられる。
やんわりと小夜の指を解くと、皺になったチケットをひらりと取り上げる。
「…………………」
「やっ…やだ…。それは…違うの!!」
小夜の狼狽ぶりに些か面食らった様子で、ハジもまた小夜の向かいの席に腰を下ろす。
ハジは一瞬意外そうに…けれどそれほど驚いた様子も見せず、チケットを手にしたまま小夜の向かいの席に腰を下ろした。
「あのね…、あの…それは…友達が…、私が前にノートを貸してあげたお礼にって…くれて…。それで…あの、財布に入れたまま忘れてて…あの…」
何も嘘は言っていないし、何一つやましい事がある訳でもないのに、小夜はしどろもどろだ。そんな小夜の態度をハジは勿論咎める筈もなく…少しだけ面白そうに微笑んで見守っている。一気に言い訳染みた説明を終えると、思わず立ち上がって小夜はハジの様子を伺った。
「…だからね…。…違うんだから…」
「…違うって…。私はまだ何も言っておりませんが…?」
どこか楽しそうでもある男の態度に、漸く小夜は落ち着きを取り戻してがたんと椅子に腰を下ろした。
「………………あの…、…ハジ?」
「………………………今どきの女子大生は侮れませんね…」
いや、そもそも自分は同世代の頃から彼女達の事など何も知りはしないのだが…。
ただ、そんな風にさらりとその小さなチケットを手渡された時の小夜の慌てぶりを見てみたかった。今の様子から想像しても、さぞしどろもどろだっただろうと、ハジは掌で額を押さえた。洗い髪を指で梳きながら、可笑しそうに小さく笑う。
そんな小夜の様子を想像しながらキッチンへ立つ。
小夜にも確認して、冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出す。
自分の分と小夜の分をテーブルに置き、続けてプルタブを引き抜く。
ありがとう…と小さく礼を述べてそれを受け取る。しかし小夜はすぐに唇を付ける事は無かった。ハジにチケットの存在を知られた事で、返って気が楽になった様子で大きな溜息をつく。
「……私、びっくりしちゃった…。だって…皆…そんな所…行った事あるんだ…って…」
「皆が皆と言いう訳ではないでしょうが…」
「………ぅん」
幾分頬を赤らめて、小さく頷く。
そして何度も言い掛けては迷った様子で口を噤み、赤い唇を缶に付ける。
何を考えているのか…幾つか想像できなくもないけれど…。
敢えて小夜の言葉を待つハジの思惑など気付きもせず、やがて小夜は覚悟を決めたようにもじもじとハジを見詰めた。
「………ハジは、……………そういう所…行った事あるの?」
「…………………そういう所?」
解っていてそんな風に尋ね返すのだから、意地が悪いと責められても仕方がないと、ハジは瞳を細めた。
「………だ、…だから…ラ……ラ、ラ…。ラブ…ホテル…みたいな所…」
「小夜は…無さそうですね…」
「………な…無いよ!ある訳ないじゃない…」
知ってる癖に…と唇を尖らせる様が何とも愛らしい。
さて…何と答えたものか…。
ハジはもう一度、思わしげに額を押さえ…ゆっくりと缶ビールに手を伸ばす。
ちらりと小夜の様子を伺うけれど、真っ直ぐな瞳をした彼女を相手に白々しい嘘を突き通せるとは思えなかった。
「……一度も行った事が無い、とは言いませんが。……小夜とは、ありませんでしたね…」
「………………………」
男の正直な告白を受けて…顔を真っ赤にして固まる小夜に、どうしたものか…と、息をつく。
勿論それは、小夜と出会うずっと以前の事で…今更どうこうと言われても男には困り果てる事位しかできないのだけれど…。
言葉を返す事が出来ないまま、大きな瞳が心なしか潤んでいくのを…ハジは愛おしさに駆られながらじっと見詰め返した。
ビールで冷えた指先をそっと小夜の頬に差し伸べる。間にテーブルがあるせいでしっかりは届かないけれど、ハジの気持ちを察する様に少女は優しくその指先を指先で包んだ。
「…全部、小夜と出会う以前の話です」
「解ってる…」
そうは答えながらも納得のいかない表情の小夜に、ハジは少し困った様に微笑んだのだった。
「…興味があるのでしたら、一度…一緒に行ってみますか?」
さらりと、まるで買い物にでも誘う様な調子でそう提案する男の前で、小夜は瞳を瞬かせた。
「……興味…って」
興味…という事になるのだろうか…?
友人の言葉が小夜の頭を掠める。
『…多分男の人は嫌いじゃないと思うよ』
 
…やっぱりハジもそう?
もっと………、私……………。
 
小夜は耳まで真っ赤に染めたまま、小さくこくんと頷いたのだった。
 
                       《続》

20101124
勢いに任せて書いたのを、そのままあぷです(まあいつものことですが)
先日ブログで言っていた「仔うさぎラブホへ行くの巻」結局適当なタイトルが思いつきませんでした…。
こんなお遊びのお話ですが、なんだか長くなってすみません!
最終的に 裏的描写が出てくるかどうかは謎ですが、一応ネタ的にこっちにおかせていただきます。

                      
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