三十年ぶりに抱き上げた少女の体は、記憶より幾分痩せて軽くなったように感じた。

最後に見た夢がどんなものだったのかは、既には記憶に無い。

あの日、『ボルドーの日曜日』と呼ばれるあの悲劇の始まりの日、ハジは思いが

けない事故で命を失いかけ、そしてサヤのシュバリエとして新たな生を受けた。

あの日からハジの体はサヤと共に永遠の時を刻み始め、その肉体は老いず、朽

ちず、そして睡眠も必要としない。故に、シュバリエは夢を見る事はない。

いつとも知れない主の目覚めを待つ、その孤独な時間を耐えるには、報われない

夢など抱かない方が良い。

長い間、ハジはそう自分に言い聞かせてきた。

シュバリエの主に対する愛情は果てなく、そして無償の筈だ。

それなのに

サヤから求める口付けは、いつもこの上なく甘く、それ以上に切なくて

とうの昔に捨てた筈の、見てはならない夢が蘇ってくる。

苦しくて、切なくて……

崩れ落ちる瓦礫の向こうでサヤは泣いていた。

轟音にかき消されながらも、途切れ途切れに届く彼女の声は悲痛に満ちてハジの

名を呼んだ。

ディーヴァの夫となる事が出来るハジを『嫉ましい』と言ったアンシェルの、そ

れはまるで復讐であるかのように、止めを刺したハジの体を繋ぎ止めたまま

石化の始まった彼の体はびくとも動かない。

ここで自分は死ぬのだろうと、ハジは一瞬のうちに覚悟を決めていた。

直に米軍の戦闘機が、全ての証拠と共に彼らをも焼き尽くしていくのだ。

サヤは大丈夫だ、カイが、そして彼女の事を愛し慕ってくれる仲間がいる。

そう思うと、不思議と死に対する恐れやこれまで生きてきた事に対する後悔は無

かった。

それどころか、ハジは心のどこかでこれで楽になれると、もう一人の自分

が囁くのを聞いた。

苦しかった

ずっとサヤ一人を愛してきた。

愛しくて、愛しくて

あなたを愛しています

気が、狂いそうな程

やっと楽になれる

サヤ

その涙は、私の為の涙なのですか?



夜啼く鳥


これが夢、なのか


静かな雨に包まれた廃屋は閑散としていた

音も無く降り続く雨は、まるでサヤの涙のようだ。曇った窓ガラスの向こう

り続く雨は夜の闇に溶けて、じっと目を凝らさなければ気付く事も無いのかも知

れない。

そうして、彼女はいつも泣きながら声を押し殺す。

今も

窓の傍に運んだイスに体を強張らせたまま、

両腕にしっかりと刀を抱き締めて

数え切れないほど多くの仲間翼手の血を吸ったそれを、まるで自分の分身であ

るかの様に、その柔らかな胸に強く抱き締めている。

雨を凌ぎ一晩の宿を求め立ち寄ったその廃屋も、過去にはきっと家族の暖かな

暮らしを守っていたのだろう。所々に残された生活感の残る調度がそれを物語っ

ていた。大きな釜のあるキッチン、大家族の食卓が容易に想像出来る大きなダイ

ニングテーブル。革張りのソファーしかし、家族の団欒を囲んだ筈のその広いダ

イニングとリビングも、今は暗くホコリを被り静まり返っていた。

ハジはサヤの寛げる居場所を作るべく、暖炉の前の一角を手早く清めると部屋の

隅に詰まれた古い敷物を裂き、種火を起こした。

朽ち掛けたイスを要領良く分解すると、薪として暖炉にくべる。

炎が次第に大きくなると、辺りは暖炉を中心として暖かなオレンジ色の影に包ま

れた。

『寛ぐ』と言っても、簡単な旅支度しか持たない二人にはこれが精一杯だった。

固い床に、せめてもと敷いた毛布と寝具だけはここへやって来る以前にハジが新

しく手に入れたもので、少しでもサヤの眠りを安らかなものに導いてくれるだろ

うか

サヤ」

サヤはハジの呼びかけにも、僅かに視線を巡らせただけだった。

物思いに沈むように、再び背を向ける。

背中を向けたサヤの表情ははっきりとは読み取れないけれど、暗いガラスにぼん

やりと映り込む彼女の赤い唇だけはきつく噛み締められている事が見て取れた。

ハジが夢を見なくなったあの日以来、サヤもまた笑わなくなった。

二人で微笑を交わし、音楽を愛し、花を摘んで暮らしたそれはもう遠い昔、幼

い頃に聞かされたおとぎ話と同じだ。

ハジも、サヤも、今はこうして暗い廃屋で身を震わせている。

「サヤ、せめてもう少し火の傍で体を温めて下さい。明日の晩はもう少しマシ

なベッドを用意します。この先にはもっと開けた町もあるそうですから」

ここへ来るまでに彼女も雨で濡れていない筈はない。

ハジは一方的にサヤの背中にそう続けた。

昔の、お姫様候としていたサヤならば、烈火のごとく怒っただろう粗末な寝床に

も、彼女は黙ってハジの言葉に従った。

ぽたり

ゆっくりと立ち上がると同時に、サヤの少し伸びた前髪から滴が零れる。

それは一つ二つと、痛んだ木の床に染みを作った。

「ハジ少し、後ろを向いて。服濡れて気持ち悪いの

ハジの返事を待たず、胸元のボタンを寛げ始めるサヤにハジは慌てて背中を向け

た。背後で微かな衣擦れの音が聞こえる。

昔、一緒に川遊びをした子供の頃が懐かしい。

いっそ、あの頃に戻れたなら

あの日、あの惨劇が起こらなければ、自分は何も知らないまま、ただサヤを愛し

て、人としてその一生を終えたのだろうか。


この永遠とも感じる無常な時の流れに、サヤ一人を残して


そんな想像は無意味だと、ハジは軽く頭を振った。

赤い盾が、サヤの大切なものをのせたまま、海中に没してから数ヶ月。

二人は再び以前のように、二人きりで翼手を狩る旅を続けている。

多くの犠牲を払い、大切なものを失い、挙句ディーヴァを倒す事も叶わず、どう

して仲間の元へ戻れるだろう。

第一、これは初めから贖罪の旅なのだから

ハジは、きっとそう思い詰めているのだろうサヤの事を思うと、キリキリと胸が

痛むのを感じた。

たった一つ。

ハジの願いはサヤの笑顔を取り戻す事だけなのに

沖縄で、音無小夜としてハジの前に現れた少女の笑顔は、初めて会ったあの頃の

サヤを彷彿とさせた。

過去の忌まわしい記憶を無くし、

血は繋がらないとは言え温かな家族に囲まれ、親友と呼べる友達が居て

生き生きとした笑顔は、過去のサヤ以上に輝いていたかも知れない。

ずっとサヤ一人を見詰めてきた。

愛しくて、愛しくて

気が狂いそうな程、長い夜もあった。


しかし、あれ程に望んだサヤの笑顔を取り戻したのは、ハジではなく家族として

サヤを迎え入れた宮城家の人々だった。

ハジは、サヤのシュバリエなのだ。

サヤを守り、共に戦う事、それがシュバリエとしてのハジの務めだ。

けれど、ハジは知っている。

サヤはハジをシュバリエにした事を悔いている。

ハジを自分と同じ翼手にしてしまった事に罪の意識を抱いている。

そして自分は


そして自分は、

報われない夢など抱かない方が良いに決まっている


ハジ?」

背を向けたまま深い思いに囚われていたハジを、サヤは覗き込んだ。

着替えといっても、単に濡れた着衣を脱いだだけで薄いキャミソールの上に肩か

ら白いシーツを被っている。

我に返ったハジは、今更に自分の深い彼女への想いを見せ付けられたようで、サ

ヤの顔を真っ直ぐに見ることが出来なかった。

もし、あのような事故が起きなくても

もし、彼女の正体と、そしてシュバリエの存在を知ったなら、

自分は自ら望んでサヤのシュバリエになっただろう

そうと知ったなら、あなたの罪の意識は少しでも軽くなるのでしょうかサヤ?

「いえ、すみません。寒くはありませんか?」

その思いを口にする事は出来なかった。ハジが素直に頭を下げると、サヤは少し

困ったような複雑な表情を浮かべた。そっとその、しなやかな指先をハジの前

髪に伸ばす。ハジの黒い睫毛に触れそうなほど傍で、サヤは濡れて湿ったハジの

前髪に触れた。

優しく摘んで、逃れられない視線で問う。

「ハジも、濡れてる。ハジは寒くないの?」

大丈夫です

なるべく動揺を覗かせまいと、ハジはあえてそっけなくゆっくりと言った。

「ハジは、綺麗ね昔からそう、羨ましくなる位、肌が綺麗で、色が白

くて、髪も

サヤ?」

「思い出したの、昔の事」

「ええ

あの儚くも美しいバラの庭、

全てはあそこから始まったのだ。

「背も、いつの間にか私より高くって、掌だって

「昔話なら、座っても出来ますよ、サヤ。火の傍で少しでも体を休めて下さい」

サヤが触れかけた左手を、弾かれた様にハジは引っ込めていた。

触れられる事で、この想いが溢れてしまいそうだ。

うん」

小さく頷くと、サヤはハジの言葉に素直に従った。

「ハジは、いつも冷静ね

ハジの用意した毛布の上に、サヤは小さく膝を抱えて座った。

サヤの小さなその呟きの意図するところが、ハジには解らない。

「すぐにお湯を沸かします

返事も漫ろに立ち上がりかけると、思いがけずサヤの指先がハジの袖を掴んでい

る。

昔から変わらない、サヤの癖。

ハジは一旦立つ事を諦め、座り込むサヤの目線に合わせ跪いた。

サヤは相変わらず困ったような、それでいてほんのりと頬を赤らめたまま、ハジ

を直視できず俯いてしまう。

「どうしました?」

お湯は要らない

顔を、洗いませんか?シャワーとまではいきませんが

「そうじゃないの。ハジ

サヤは俯いたまま首を振った。

きつくハジの袖を握り締めていた指が解け、肩から被ったシーツの前を両手で重

ね合わせる。

「サヤ?」

「どうしたら良いのか、解らないの。ハジ

縋るような目をして、サヤが顔を上げた。

白い肌も、うっすらと朱を刷いた頬も、噛み締めて更に赤みを増した唇も

ハジがこれまでにどれ程焦がれたものであるかなど、サヤに自覚は無いのだ。

ハジはゆっくりと大きく息を吐く。

「急に、どうしたのです?サヤ、この先の事は

ゆっくり考えましょうと囁く。

翼手を、自らの妹を手に掛けなければならない少女の肩に負うには、それはあ

まりにも厳し過ぎる現実ではないのか

少しでもサヤが落ち着けばと無理に微笑もうとしたのに、ハジは自分が少しも

笑えていない事に気付いた。

………ごめんね、ハジ

サヤは、両手を解くと跪くハジに指を伸ばし

解らないの

こんな時、どうしたら良いの?と消え入るように告げると、ハジの湿った首筋

に両手の指を差し入れて、彼の肩から黒い上衣をほんの少し脱がした。

ハジ、もう少し、傍に来て

僅かに膝をずらして、サヤが前に出る。

サヤ?」

見上げる瞳は今にも泣き出しそうで、ハジは見ていられなかった。

明らかな意図を持つように、サヤの指がハジの首筋に触れる。

ぎこちなく、ゆっくりとした動きで、ハジの肌を辿っていく。

決して巧みではない。くすぐったいような、けれどその優しい触感はぞくぞくと

皮膚の下に眠る男の欲望を呼び覚ましていくようで

「サヤッ

ハジは慌てて彼女の手を引き離した。

「いけません。サヤ

ハジ

サヤの僅かに赤みがかった瞳が真っ直ぐにハジに問う。

ありありと不安に潤む瞳が、『これはいけない事なの?』と。

「ハジが、欲しいの

「初めて会った時から、私の全ては、あなたのものです。サヤ」

嘘ではない。とうの昔に、ハジはその全てをサヤに差し出している。

あの少年の日、サヤにあの涙を拭われて以来、ハジは決めたのだ。自分はサヤの

為だけに生きるのだと。

「違う。違うの。私が欲しいのは

サヤは両手を差し伸べて、ハジの首筋に縋った。

固まったまま動けずにいるハジを捕らえ、ふっくらとした唇をハジのそれに押し

付ける。口付けと呼ぶには余りにも幼いサヤの唇は、ハジに触れると逃げるよう

に離れた。

「サヤ

細い肩からするりと白いシーツが滑り落ちた。

白く滑らかな肌が、小さく震えている。

「それがどういう意味か、解って言っているとは、思えません」

サヤは、寂しいのだ。

家族と呼べる相手を、次々と亡くして

それがどう言う意味を持つのか、それがどういうものであるかなど解っている

はずが無いのだ。

サヤは今まで男と言うものを、その身に寄せ付けた事が無い。

男の剥き出しの欲望を知らない。


そしてハジは、サヤにとってたった一人のシュバリエでしかない筈だ。

「ハジ

「もし今私があなたの手を取れば、私は、あなたを傷付けてしまう」

「ハジ恐いの?」

……ええ」

ハジは小さく頷いた。

サヤを傷つけ、その上

この一線を越えたら、もう自分は

もう以前に戻れない。

きっと今まで以上に辛い日々が待つのだろう

愛されたいと

一人の男として、サヤに愛されたいのだと

夜毎、報われない想いに身を焦がすのだろう

それでも、お願い。私を拒まないで。私を傷付けるのが恐いというなら、私

を拒まないで。この手を」取ってと、男を誘うには真っ直ぐすぎる瞳で

、サヤはハジを見詰める。

ごめんね、こんな戦いにハジを巻き込んでしまって。これは全部私の

我侭なの

「謝らないで下さい。サヤ

「ハジが欲しいの。お願い。だってもう、私達に明日は無いかも知れ

ない。だから、今ハジが欲しいの。ごめんねハジ」

『ハジが欲しい』サヤがその意味をきちんと理解しているとはどうしても思え

ない。

けれど拒む事などもう出来る筈も無かった。

サヤを欲しいと思う気持ちは、夜毎サヤのそれを凌いでいるというのに

「謝らないで、サヤ。あなたこそ一度私の手を取ったら、もう途中で止

められないのですよ?」

……止めないで。傷付けて良いのハジなら

サヤはそう呟くと、すんなりと細い両腕をハジに向って伸ばし、ハジはまだそれ

が現実のものであると認識できないまま、サヤの伸ばされた腕に触れた。

子供のようにしがみついてくるサヤの体は、絶え間なく小刻みに震えていて、き

つく握り締めた指先は緊張の為かいつになく冷たい。

冷えた体に、熱を点すように

ハジはすっぽりと腕の中に納まってしまうサヤの体を、一度しっかりと抱き締め

た。よく知っている筈なのに、サヤの体の線はこんなにも華奢だっただろうか?

欲望のままに抱き締めたら、折れてしまいそうな程。

引き締まった細いウエストとはアンバランスなほど豊かな胸の柔らかな感触。

「サヤ

ハジは腕の中の少女の耳元に小さく囁いて、誓った。

「優しくしますサヤ。だから

恐がらないでと。

何度か触れたサヤの唇に、もう一度そっと触れる。ふっくらとした唇は、応える

事もままならない様子で、ハジは驚かさないようにサヤの頬に指を沿え、自分に

向き直らせるともう一度しっかりと唇を塞いだ。

先程の、サヤからの不器用な口付けをぼんやりと思い出しながら、ゆっくりとそ

の柔らかな感触を確かめる。優しく誘うように啄ばみ舌先を差し入れると、やが

てサヤの唇はハジの舌先を甘く噛んで応え始めた。

最初は恐る恐るそして、次第に深く。

ハジは何度も角度を変えながら、サヤの唇を味わった。

互いのざらついた舌が絡み合う度に、湿った音が耳を離れない。

とても、これが現実に起きている事だとは信じられなかった。

腕の中の少女は、とろんと甘い瞳をして、ハジを拒む気配はなく、どうかする

とそれは自分の浅ましい欲望が見せる幻覚なのではないかと疑いたくなる。

ハジはサヤの唇を塞いだまま、左手をそっと彼女の胸のふくらみに移動した。

弾力のある柔らかな質感、薄い布を通しても掌に感じる先端の蕾。

掌に包み込むと、それはもう固く尖っていた。

確かめるようにゆっくりと全体を揉みしだくと、たったそれだけの刺激にもハジ

の腕の中でサヤの体はびくんと大きく揺れた。

「んん、ん……

思いがけない体の反応に動揺したようにサヤは咄嗟にハジの名前を呼び、咎め

るようにハジの左手に自らの掌を重ねる。

「サヤ?まだ、何もしていませんよ」

濡れた唇を開放して耳元に囁く。その声音にすら、サヤは背筋を震わせた。

「だって、だって、ハジ

ハジはサヤの言葉に耳を傾けながらも、抱き締めた彼女の体をゆっくりと床に押

し倒した。もう一度仕切り直すように、サヤの唇に触れ、自分もまた彼女に覆い

被さる様に体を横たえた。

サヤが何度も瞬きを繰り返し、大きく一度肩で息をする。

彼女の緊張が手に取るように解る。

そしてハジもまた、ひどく緊張していた。

今となっても『このまま、彼女を抱いて良いのだろうか?』と迷う気持ちがハ

ジを引き止める。

まるで生き物のように揺らめく炎の影が、粗末な床に長く重なる二人の影を敷い

た。サヤは幾分落ち着きを取り戻したかのように、潤んだ瞳でハジを真っ直ぐに

射抜いた。

ハジの迷いを見透かしたように、その手を持ち上げる。

そっとハジの首筋に手指を差し入れて、彼の髪を一つにまとめていた濃紺のリボ

ンを解くと、途端に零れる長く黒い髪がハジの視界を遮ってしまう。

もう、ハジにはサヤしか見えなかった。

そのままサヤの手がハジの首筋を抱いた。

ぐっと近く引き寄せられる。

サヤは何度も言いよどみ、言葉を探しているようだった。

「私の事を想ってくれるなら、迷わないで。ごめんね、ハジ

「謝らないで、と言ったでしょう……サヤ」

「ハジにはいつも、辛い事ばかり頼ってごめんなさい

「辛くなど

自分が辛いのは、シュバリエのあるべき姿に外れて、サヤを一人の男として愛し

ているからだ。

サヤはそんな自分の気持ちに気付いているのだろうか

だからこのように……

「ハジ。約束覚えてるよね

「サヤ?」

「ハジ。いつかあなたの手で、殺して……。全ての戦いが終わったら

「サヤ、それは

有無を言わせない切ない瞳で、それを約束させられたのはいつの事だったろう。

あれから何年の月日が流れたのだろう

「忘れないで。だから

今しかないのとばかりに、サヤはハジを抱き締める。

いつの日か、その約束が果たされるときがくるのだろうか?

自分に出来るのだろうか

サヤを守るべき、シュバリエである自分が

愛するサヤのこの細い首筋に爪を立て、彼女の命を奪う事など

ハジ自嘲気味に、微かに頬をこわばらせた。

自分は………

サヤを愛する、ただの男でしかない。

それとも、とうに自分は狂っているのかも知れない。

主であるサヤに、こんな形の愛情を抱き続ける事自体そして、彼女の弱さに

付け込んででも、こうしてサヤを抱きたいと思うこと事態、もう自分はシュバリ

エの道を外れ、狂っているのではないか

それでも、いいとさえ

今は、

……
今だけは

「サヤ

例えこの行為が、サヤの寂しさを紛らわす為の戯れなのだとしても

この閉ざされた空間が彼女に見せる気まぐれなまやかしなのだとしても

そして、自分に対する哀れみなのだとしても

ハジにとっては、たった一度の逢瀬なのだ

だから

愛しています

心の中でそう呟くと、ハジはサヤの体を折れるほどに抱き締めた。

息が上がる。

時折、燃え盛る炎がぱちんと音を立てる以外静まり返った空間に、二人の荒い息

遣いだけが響いていた。

既に何も纏わない二人の白い裸体は、どこからどこまでが自分で、どこからが相

手のものなのかも解らない程、互いの熱を分けて絡み合っている。

男の重みを受け止めながら、サヤは僅かに眉根を苦悶に歪めていたけれど、それ

はもうその行為を中断させる理由にすら当たらない。

初めて触れる互いの全身の熱。

すべる様な、それで居て次第に湿り気帯びる汗ばんだ肌の感触。

少しずつ自分達の体が変わってゆく事に、戸惑いを覚えながら、それでもその自

然な反応をサヤは受け入れていた。体が熱い。指と、唇で、体中に触れられて

与えられる刺激に、自分ではどうしようもないもどかしさを感じて、サヤがたま

らなく身をくねらせると、ハジの体も嘘のように熱くなっていて、別の生き物の

ように固く変化したそれがサヤの体のところどころに触れる。

ハジは黙って彼女の手を取ると、そっとそれに導いた。

一瞬にしてサヤの頬が赤く染まる。

……?」

ハジは応えず、掌を重ねてそれに触れさせる。サヤの指は恐る恐る、それでもし

っかりとその形状を確かめるようにハジに指を絡めた。

そしてまたハジも、サヤの濡れた内部にそのしなやかな指を差し入れる。

羞恥に染まりながらも、しかしサヤはハジに抵抗する事なく、むしろ彼を受け

入れようと努めて腰を蠢かし、ハジはその無意識の媚態に誘われるまま、サヤの

緊張を解すべく彼女の内部を優しく刺激する。

「ハジハジ

許可を与えるように、サヤがハジを呼ぶ。

一つになりたいという欲求はハジ一人だけのものではなかった。

未知の行為でありながら『ハジが欲しい』と言ったサヤもまたその瞬間を望んで

いるのだと、繰り返し

「サヤ

言葉になどならず、応えるようにただ互いの名前を呼ぶのがやっとだった。

ハジはしなやかな線を描くサヤの両足を持ち上げると、一つになるべく腰を押し

進めた。

サヤの腕が耐えるようにハジの背中に巻きつく。

「ハジ、ハジ

最早泣いているようなそれ

サヤサヤ、今だけ一度だけ

私だけのものになって

サヤの熱に浮かされた声は自分のものとは思えなかった。


熱い。

辺りは暗く、焦げ臭いガスが充満しているようだった。

瞼が重い。

意識の喪失はどれ程続いたのだろうか

自分は生きているのか?

瓦礫に埋もれ、戦闘機の爆撃を受け死ぬ筈だった。

死んだのではないのか

死んで、楽になれると、どこかで安堵していた自分はどこへ行ったのだろう。

意識が冴えてくるにしたがって、体中の痛みが蘇ってくる。

と同時にハジの体には、生きたいと渇望する本能のままドクドクと体中の血が

流れ出した。

けれど、体は一ミリと動かない。

それとも、この痛みすら幻覚か?すでに燃え尽きた筈の体が痛むなど

ふいに耳元で、サヤの声がする。

ハジ
……
ハジ

夢の続きを見ているのか

あれは夢だったのか?

泣きたくなるほど幸せな

夢?

あれが夢、なのか

記憶が混濁する。

あの戦いが?

それとも、あの夜のたった一度きりの逢瀬が

重い瓦礫に押しつぶされた身体。その半分以上はもう死体と呼ぶに相応しいので

はないか

何故自分は生きているのだろう

やっとの事で重い瞼を微かに持ち上げると、暗い夜空に儚く星が瞬いているのが

見て取れる。

優しい風が吹き、頬を撫でる。

長い髪が宙をふわりと舞った。

どうやら確かに自分は生きているらしい。

『私が守ってあげる

耳元で、サヤが囁いた。

サヤ

会いたいもう一度

掠れた喉から声は発せられなかった。

サヤ

サヤ……

ハジの体を流れる女王の血が、どくんどくんと力強く彼の背中を押す。

この体が再生するのにどれ程の時間を必要とするだろう。しかし、確かにハジ

サヤの腕にしっかりと抱かれ守られている事を感じていた。

サヤ

目尻からハジの頬を熱いものが零れた。

拭う事も出来ず、ただ流れるに任せたまま

やがて、眩しい朝の光がハジの白い頬を照らす。

それが、あの少年の日以来閉じ込めて来た筈の涙だと

ハジが気付いたのは、それからずっと後の事だった。




20071111
沙奈さまから頂きました。9000hitキリリク作品。
3部作の2話目です。